孤独と刹那
代表取締役 高藤昌和
現代社会をあらわしている言葉に孤独と刹那ということがあります。
孤独とはひとりぼっちの生活とか孤児のようにさみしい境遇におかれているとか、または精神的に孤独な状態におかれることで、刹那とは非常に短い期間、ちょっとの間、瞬間のことであり、刹那主義とは過去や将来を問題とせず、現在の各瞬間さえよければという考え方です。
現在はいろいろなところで「絆」が切断されています。家庭、企業、地域社会でも「絆」が切れて人はますます孤独へと流されて行きます。以前は、お互いに支え助けあって生き来ましたが、物質文明の発達は自己中心主義、自分さえよければという考え方となり、相手との絆を切ることにより、ますます孤独へと向って行きます。
以前の村を中心とした社会、共同体が崩壊し、それに変わって企業が共同体の役目を果たす時期がありましたが、グローバル化とともに終身雇用制度や年功序列の賃金体系も崩れ、ますます孤独の時代へと変化しています。そのため将来の夢や希望を失い、今がよければと刹那的な考え方になるのです。それは目に見えるものだけに価値を認め、外へ外へと進んで行ったからです。精神、心、魂など内なる人間の本質的なものを捨ててしまった結果だと思います。
社会で企業で家庭で、絆が切れた最近の状況はまさに孤独と刹那の現象です。内(心)と外(現象)を結ぶことによって本当に人間らしい社会の再生をめざしてひとりひとりが変わることが大切です。「唯心所現」我々が心で思ったことが現実社会にあらわれるとするならば、まず自分自身が変わり、夢と希望の持てる社会をめざして失われた絆の再結を願っています。