戦後、私は長野県立屋代中学で最終学年を送りつつ両親の実家の農業手伝い
をして居た。重労働だったが、戦後の食糧難にも腹一杯食べることが出来た。
その頃、東京やその近辺から毎日のように多くの買出し部隊が信州へやって来
た。米やイモを現金買いの人、物々交換する人達だ。だから終戦後の農家はホ
クホクの金持ちに変った。
或る日の午後、一歳年下のいとこと千曲川の土手で馬鹿話をして居た。土手
下の畑で、一人のお百姓がイモを掘っていた。そこへ十五人位の買出し部隊が
通り掛り、イモを売って欲しいと懇願する光景に出会った。お百姓は手を振り
ながら、「駄目だ。売られない」と言って相手にしなかった。遠くから必死の
思いで汽車に乗り、買出しに来ているのに気の毒な光景だった。お百姓はイモ
を自転車に積んで帰って行った。その時私は、若者の正義感と大胆さを持って
仕舞ったのだ。「ちょっと待っていなさい。」買出しの人達にそう言って、私
はいとこに、家に帰ってクワを二本持って来るように言い付けた。彼は自転車
で来ていたから、十分程でクワを二本持って来た。それからイモ泥棒が始まっ
たのである。
「これから二人でジャンジャン、イモを掘るから、リュックサックに入るだ
け詰めてかえりなさい。」そう言って掘り始めたのである。いとこも買出しの
人達も「他人の畑でしょ。いいの」と言って居たが「捕まれば俺が警察に行く」
と言って必死でイモ掘りをした。彼は農家の長男だから、流石にイモ掘りは上
手だった。私の何倍の早く作業が進んだ。最初、ためらって居た買出しの人達
も目の色を変えてリュックに詰め込んだ。一時間足らずで全員のリュックが一
杯になった。「早く帰って!気を付けて。」重いリュックを背負った集団が笑
顔で頭を下げ下げ土手を歩いて行った。みんな振り返りながら手を振っている。
あの時の光景が忘れられない。あの時の買出し部隊は、私よりみんな年上だっ
たから、今頃どうして居るだろうか。
平成元年九月、私の父の葬儀の時、あの時のことをいとこがしんみりと私に
言った。「あれ以来、僕は貴兄を尊敬している。」想像もしなかった言葉であっ
た。あの時の買出しの人達も生きていたら、きっと忘れられない思い出であろ
う。