神佛を敬う心
川崎 安太
 昭和十五年、私が大分中学(現大分上野丘高校)二年のときの二月、小学校 時代から憧れていた陸軍幼年学校の身体検査が明日しいう日になって、扁桃腺 炎のため四十度近い高熱が出、咽が赤く腫れ痛みだした。
 入学試験は、身体検査に合格した者のみが学科試験を受けられることになっ ており、視力は1.0以上、胸のレントゲン写真に若干の影があっても不合格に なる等、たいへん厳格な検査で、私にとっては正に絶対絶命のピンチであった。
 発熱のために、一年にわたる受験勉強の苦労を水に流す私を不憫に思ったの か、父は身体検査の当日、未明の三時頃、灯りは全くなく、昼間でも人通りの 少ない約三キロの道を、折から降りしきる冷たい雨の中を歩いて、母の実家近 くにある向原の稲荷神社に願掛けに参拝してくれた。
 その願いが天に通じたのか、その日の早朝、父が仕事の関係で約束のあった 藤本恕一郎先生(幼年学校時代の私の保証人)宅を訪問した際、私の病気のこ とを知った先生が、特効薬があると言って、白いキラキラ光る粉薬を下さった。
 早速その薬を飲み、高熱と咽の痛みをおして大分市の公会堂で行われた身体 検査場に向かった。
 ところが、どうしたことか、検査の始まる頃には奇跡的に熱も下がり、今ま で痛かった咽も少し赤い程度(軍医に風邪をひいたのかと問われただけ)で、 無事検査に合格。数日後に行われた学科試験にも合格して、子供の頃より待望 久しかった熊本陸軍幼年学校に合格することができた。
 この時の父の稲荷神社参拝のことは、幾年か後に母の口から聞き、はじめて 知ったが、平素より神佛に信仰心の厚かった父の無言の教えに感動し、より父 を尊敬するようになった。
 父の稲荷神社への願掛け、そしてあの白い粉薬との出会いがなければ、夢に までみた幼年学校に入校することもできず、私のその後五十五年の人生も大き く変化したのではないかと思うとき、人間社会には、人知や科学の力では推し 測ることのできない何物かが存在することを改めて強く考えさせられた出来事 であった。
 幼年学校で受けた教育は、今でも常に私の精神的、肉体的また知識の根幹を なすものと信じており、父に教わった神佛を敬う心は、今なお会社や家庭で苦 難に遭遇したときの私の何よりの心の支えになっていることは確かである。 
川崎 安太
大正14年9月20日生
大分市出身・大分県別府市在住
〈好きな言葉〉「敬天愛人」「真心」