王家崗(わんじやかん)
國ノ十 善彌
 昭和六十二年十一月のある日、中国の東北部吉林市の東関賓館に落ちつく。 翌早朝松花江の河畔にたゝずむ。身を切るような寒さの中、河畔には大極拳を 演ずる老人の姿が見える。巾三百米もあろうか、松花江はゆったりと悠久の流 れをみせてくれる。川からの蒸気と暖房のため燃やす石炭の煙で視界は極端に 悪い。川の面をボンヤリ眺める。私はこの川の流域で四十数年前繰り広げられ た光景へと引き込まれていった。
 吉林市に近い蛟河という小さな町で私達一家は終戦を迎えた。住民と八路軍 に追われるようにして広々とした豊満ダム湖(現在は松花湖というらしい)を 渡って王家崗という田舎の部落に落ちのびる。母と弟、そしてまだ二歳の妹で あった。部落はその一辺が数百米もあろうかと思われる土塁で囲まれ、まるで 中世の城下町のようであった。数百人の現地の人が住んでいた。日本人の一行 はこの地で数ヶ月をすごした。この間に日本軍の敗残兵の訪問を受けてなつか しく思ったりもしたものである。一方ではこれを追求する八路軍の兵士による 苛酷な略奪も受けた。
 二歳の妹は厳寒の中、真中に土間をおき両側にアンペラを敷いたオンドルの 部屋で母に抱かれて静かな生活をおくっていた。痩せて細くなった指で力なく 豆腐をつまんでは食べる様子が思い出される。子供らしい活発な動きの記憶は ない。
 そして死。家族では初めての死。しかも最も年少のたった一人の妹であった。 現地の人々に助けられ、土塁の外の広い畑のすみに小さな木の墓標と共に葬ら れる。
 ソ連国境から長途逃げ帰った父は、この木の墓標に手をそえて涙を流した。 父が泣いたのを見たのは初めてであった。
 小さな妹は四十数年たった今も一人あの王家崗に眠っている。
 十一月とて雪が降った。吉林市から王家崗への道は遠く相当に悪路らしい。 その上まだ解放されていない土地だという。車で一日程の行程だというがあき らめる。河原に下りて日本から持って行った蝋燭と線香を焚く。遠く日本をは なれているためか、さびしさが涙となって流れる。河原の土を一にぎりビニー ル袋につめる。一家の墓に入れてあげよう  。
 松花江の水はただゆったり流れていた。
國ノ十 善彌
昭和10年1月15日生
鹿児島県大口市出身・大阪府豊中市在住
〈好きな言葉〉「光風 霽月」