桜島よ、燃えているか
近藤 貢
同窓会までにはまだかなりの時間があるので、会場のホテルまで歩いて行く
ことにした。ゆっくり照国神社横から山路に入る。舗装になれた足には、石こ
ろ道はなかなかにほねの折れるものである。かれこれ三十分、やっと展望所に
つく。こゝしばらくは降灰もさ程ないらしく、今日の桜島はくっきりと錦江湾
にいすわって見える。
長田町の学舎から下宿へと南洲ゆかりの小路をたどりながら、むせるような
南国の香りをあびてはじめて深い喜びにひたったのも、すでに五十年も昔のこ
とになってしまった。学徒動員で昭和十九年の九月には佐世保の海軍工廠へ。
二十年の四月には海軍の特攻基地を作るとかで、桜島に派遣されて袴腰で働い
ていた。現役入隊の電報を受け取ったのは六月九日の昼すぎ。一週間も前に打っ
た電報で入隊の日が十日とわかるだけで、どこの部隊に行けばよいのかさっぱ
り分からない。袴腰の最終の連絡船が荷物をまとめに帰る間、待ってくれるこ
とになった。西桜島の人々や友人達の見送りを受けて連絡船は桟橋をはなれて
行く。船長さんの横に坐らせてもらったが、何を聞かれ、何を話したのかは思
い出せない。はげしく降り出した雨の中を鹿児島連隊区司令部に。
「お前は熊本の西部第六十一部隊、六月十日午後一時入隊である」と言われ
る。家に帰る時間もなく、勿論、両親とも会えない。
何となく久しくご無沙汰の下宿を尋ねる。幸いにおばさんも娘さんも在宅で
あった。佐世保に行って以来とんと失礼を重ねていたのに喜んで迎えてくれた
のが大変嬉しかった。暖かいご飯を、そして餞別まで。
「もういいから」と言うのに「送って行く」と、一緒に駅までただだまって
歩いた。独りホームで送ってくれる彼女に「ありがとう」位は言ったのかどう
か。遠いまぼろしの如き想い出である。
彼女の姿が次第に小さくなるにつれて、涙の出るような物悲しさと、兵隊に
いく恐怖感におそわれたことを覚えている。
時計を見ると、はや五時十分である。間もなく会がはじまる。両手をあげて
深呼吸する。「桜島をのめ!」と、おしえてくれた西郷どんに似たあのガイド
のおじさんも今は亡い。往年とちがって、連絡船の往き来もしげく、いくつも
の航跡が袴腰の港に吸い込まれて行く。
桜島よ、燃えているか。
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近藤 貢
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大正15年2月6日生
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北九州市出身・北九州市在住