日銀那覇支店の開設
鈴木 三郎
かつて日本銀行考査局で金融機関考査の仕事をしていた昭和四十六年四月の
ことである。小尾局長(前大分銀行頭取)の秘書から「局長から鈴木君を呼ぶ
ようにと言われたが、どうもあなたのことのようなので、すぐ局長室に来て下
さい」との連絡があった。当時考査局には鈴木昭徳考査役(故人、元北九州支
店長)、鈴木淑夫考査第一係長(現野村総研理事長)と私の三人の鈴木がいた
からである。秘書の推測は当っていて、一年後の沖縄の本土復帰と同時に、日
銀は現地に支店を開設するとの説明とともに、那覇支局開設準備室主査(開設
後営業課長)の内示をうけた。また、必ず家族を同伴するようにとの指示があっ
た。
当時、沖縄は米国の統治下にあって、一般の日本人の沖縄に関する知識は乏
しく、沖縄の人は日常英語を話しているのですか、と質問されることも再三で
あり、これは大変なことになったというのが偽わらざる心境であった。
那覇支店の任務は沖縄の本土復帰を境として、沖縄経済のドル経済から円経
済への移行、そしてまた、地元金融機関の米国の金融制度から日本の金融制度
への移行の円滑化を現地の第一線で担当することにあった。とくに印象深いこ
ととしては (1)復帰時の円ドル通貨交換レートが沖縄県民への配慮から実勢を
上回るのではとの観測が流れ、復帰直前に差益を狙った投機資金の流入が懸念
されたが、実際には格別の動きはなかったこと (2)復帰当日から一週間と定め
られた通貨交換期間中にドルと円の交換が順調に進み、速やかに日常の取引が
ドル決済から円決済に変わっていくかが注目されたが、後半になって急速に交
換が進捗し安堵したこと (3)日本本土との輸出入取引は復帰後外国為替から内
国為替に変わり、信用状手数料がなくなるため地元金融機関の収益への影響が
心配されたが、財政資金や民間企業の資金流入による著しい預金の増加で十分
カバーされたこと−があげられる。
このようにして復帰時における日銀那覇支店の業務はまずは順調に行われた
が、これは一年間にわたって周到に準備を進めたこと、そしてこの間、地元金
融機関との間に相互信頼関係が築かれ、また支店のなかでは新木支店長(故人、
前福岡銀行頭取) を中心に五十数名の職員がいわば同じ釜の飯を食った仲間 として気合いを揃えて頑張ったことによるものである。個人的にもまたとない
得難い体験が出来たことを幸せに思っている。
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鈴木 三郎
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昭和9年8月11日生
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東京都出身・北九州市在住
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〈好きな言葉〉「着眼大局 着手小局」