空襲
辻 長英
昭和二十年六月十九日夜十一時過ぎ、恒例となった警戒警報のサイレンが 「ウー」と鳴り渡る。虫の知らせか眠い眼をこすりながらラジオのスイッチを
入れた。「米軍機が多良岳上空を北へ向かって進行中…」思わず背筋にすっと
冷気が走る。多良には叔母が居り、そこから北方とあれば正しく目的地は福岡
にほかならない。時計を見ると発見より十五分は経っている。「危ない」と直
感し、祖父や家族を促して庭の防空壕へ誘導する。庭へ出ると、南の空にはサー
チライトが数本夜空を照らしている。「本物だ、避難せよ」と叫ぶ。そのサー
チライトにくっきりとボーイングB29が数機映っている。
当時の常識では、「探照燈で捕らえると高射砲の弾が命中するように連動し
ている」と噂されていた。今に敵機が墜落するだろう、と固唾を飲んで見てい
たが、どうしたことか砲弾は敵機の下で爆発し、弾煙が消えるとゆうゆうとこ
ちらへ向かって飛んでくる。「こりゃぁやばい」と、防空壕へ駆け込むと同時
に大音響と共に我が家に大型の焼夷弾が落下、弾は二階から下まで貫通し、雨
戸はふっ飛び、紅蓮の炎に包まれていた。
襲撃の恐ろしさも忘れ、日頃の訓練通りにバケツで水をかける。「焼け石に
水」とはまさにこのことだ。水は一瞬にして蒸発し、火は火を呼び「バリバリ」
音を立てながら迫ってくる。壕の方まで煙が充満してくるので、命大事と消火
をあきらめ避難に移る。
幸いにも家の前は広大な大濠公園だ。素掘りながら防空壕も数多くある。我々
が荷物をまとめる間に十歳の弟に末弟の赤ん坊を抱かせて先発させる。ところ
が、我々が公園に着いてみると、たった二十米位しか距離はないのに姿が見え
ない。爆撃の中、手分して探せども弟達の姿は見えない。煙と火の中でもはや
狂乱状態の母を壕に押し込み、敵機が早く去ることと弟達が無事なことを神に
祈っていた。母は「戦地の父さんに申し訳ない」と火中に飛び出そうとする。
やがて敵機も去り、煙の中で弟を探す。もしやと自宅の方に向かうと何と焼
け落ちた家の前に弟達が立っているではないか。母は思わずそこにへたへたと
座り込んだ。
赤ん坊も今は大学教授だ。五十年の年月は短かった。
-
辻 長英
-
昭和7年1月1日生
-
福岡市出身・福岡市在住
-
〈好きな言葉〉「人間万事、塞翁が馬」