届けてくれた方
西島 伊三雄
戦前の日本人は「納税」「就学」のほかに「兵役」の義務があって、男子は
満二十歳になると、誰でも必ず兵隊検査を受けねばなりませんでした。私はそ
の結果、第一乙種合格ということで、昭和十八年十二月一日「佐世保海兵団に
入団せよ」との通知があり、否応なしに海軍に入隊しました。すると、もうそ
の日から軍隊の規律厳しい、何が何だかわからない生活がはじまったのです。
今迄のような勝手気まゝな暮しは許されません。
午前六時「ピィッ! 総員起こし五分前」の合図で跳ね起き、寒風吹きすさぶ
練兵場を駆け足。海軍体操。軍歌演習。軍人勅諭の暗記等々…。
ちょっと、他のことを考えたりしていたらボイーンと鉄拳がとんできます。
ただ、オロオロと恐怖と緊張の毎日が過ぎていって一週間目、突然「南方へ行
く者はおらんか!前へ出ろ!」との命令です。これはまた…一瞬どう答えたら
良いものかと、お互に顔を見合せて黙っていると、鬼の上官の目が次第に厳し
く睨みます。私は「ハイッ!」と思わず手を上げて、一歩前に出てしまいまし
た。
あっさり、いちばん危険な戦闘の第一線「南方派遣」に決められた私たちは、
海軍の服装ひと揃いを支給されて、翌日佐世保益駅から出発です。「行く先は
秘密」。列車の窓は黒幕で覆われ、何処へ輸送されるのかわかりません。一緒
に乗った同年兵も、まだ一週間のつきあいでお互いに無言です。ただ列車がゴ
トンゴトンと何処かへ走っているだけです。
約二時間ぐらい経って「あれっ? 長崎行きではないゾ?」と、列車の黒い幕
をソッと開いて外を見ると、月の光で見える風景がどうも佐賀から鳥栖を過ぎ
ているようです。「ウーム。これは博多駅を通過する」と気付きました。やが
て列車は次第に速度を落としはじめました。黒い幕のすき間から窓外をまじろ
ぎもせず見ていると、見慣れた瓦町の踏切が近付いてきます。「見えた!私の
家だ!」二階の障子に誰かの影が写った。もう我慢できません。博多駅に停車
すると「いま戦場へ行きます。伊三雄」と走り書きした紙片を手に、列車の窓
からとび降り、ホームに居られた国防婦人会の、全く知らない人に「私は瓦町
の二〇加屋旅館の息子です。父に渡してください」と手渡しして大急ぎで列車
に駆け戻りました。
ボーッ、列車は博多駅を離れて行きました。目をつむり合掌してこみあげる
涙をジッとこらえていました。
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西島 伊三雄
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大正12年5月31日生
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福岡市出身・福岡市在住
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〈好きな言葉〉「相手の身になろう」