おばあさんと孫娘
松元 正
 「高校生の孫娘が落ち込んで困っている。知覧へ行きたい。どうやって行っ たら良いか教えて下さい」ある夏休みの午後、こんな電話が来ました。「成績 が落ちた、友達とうまくいかない」と、悩んでいる孫娘に知覧の特攻平和館を 見せて目を覚ませてやりたい、とのことでした。
 この電話は北九州市在住のご婦人で、以前ツアーで知覧を見て、とても感動 なさったそうで、くよくよしている孫娘を見て、自分が話を聞かせるより連れ て行って見せてやりたい。そんな思いから電話をされた、と聞きました。
 一週間程したある日の夕方「やって来ました。朝早く列車に乗り先程着きま した。今晩の最終で帰ります」。はっきりした口調でそうおっしゃるご婦人は きりっとして、やさしい方でした。
 一時間程説明を受け、丁重なお礼を言って帰られました。
 おばあさんは孫娘にどんな話をなさったのでしょうか。また、孫娘さんは若 い命を蕾のまま散った特攻隊員の遺書や遺品にどんなことを感じて帰ったので しょうか。私はふと、ある特攻隊員の手紙を思い出しました。
お母さん お母さん 今俺は征く
母を呼べば 母は山を超えてまでも
雲の彼方からでも 馳せ来る
 昭和二十年四月七日午後知覧から出撃した金沢市出身の第二九振武隊長 中 村実大尉(二十歳)。死に向かい合っても、母を慕い、呼べばいつでもとんで 来てくれるという安らぎを与えた五十年前の中村大尉のお母さんと、落ち込ん だ孫娘を黙って包み込んで知覧に連れてこられたおばあさんと、何か“母子像” が重なるような気がします。
 十七歳から二十歳前後の若者が自分の命を捨てることによって祖国が救われ る、親兄弟が助かるなら喜んで死ねる、と書き残して沖縄へ出撃して再び帰っ てこなかった隊員。明日を生きようと思っても生きられなかった隊員の心情を、 あの孫娘さんにどう汲みとっていただけたのでしょうか。
 生まれた時から平和で物があまり過ぎた社会しか知らない孫娘さんにおばあ さんが分かってもらいたかったのは、平和の尊さ、平和であることの幸せと命 の尊さ。そして特攻隊員の遺書に見る親子のきずなと情愛の深さではなかった のではないでしょうか。 
松元 正
昭和26年1月17日生
鹿児島県知覧町出身・知覧町在住
《知覧特攻平和会館》
昭和49年3月町立知覧特攻遺品館として出発。 63年12月知覧特攻平和会館に改称オープン。 陸軍特別攻撃隊員1035名の遺影、遺品等を展示。 年中無休