最後の教え
石村 悟
父(先代社長)が亡くなる年のことである。博多駅名店街の店を大改装する
話が持ち上り、当時専務であった私に改装計画を作るよう父から指示があった。
私も大いに張り切って、主力商品の鶴乃子は勿論、その年から始めた洋菓子の
ボンサンクや喫茶室を複合化した店舗のプランを練り上げ、約三千万円の見積
り書を添えて父に提出した。
ところが、このプランを見るなり父は「何だこの計画は。この位の店に三千
万円も使うなどとはもってのほかだ」と私を叱りつけたのである。確かに二十
余坪の店に三千万円の投資は今の相場でも過大である。しかし、それだけに立
派な改装で鮮やかな変身を遂げ、売り上げアップを図ろうとする考えに私はい
ささかなりとも自信を持っていたわけで執拗に喰い下がった。
何度かのやりとりの後「じゃ一体いくらでやれと言うんですか」と言うと、
何と「八百万円でやれ」とのこと。三千万円の計画を八百万円ではいくら何で
も無茶苦茶な話である。「どうやれば八百万円でできるんですか」ときくと、
その答えがすこぶるふるっていたのである。「ウチは鶴乃子屋バイ。店の前の
方に鶴乃子のケースを並べて、後は幕でも張っときゃ良かろうが」。明治の人
の知恵と言おうか頑固さと言おうか、さすがにこれには恐れ入って私も二の句
がつげなかったものである。
結局親子ゲンカのような形で話がまとまらず、父はその直後このことも気に
病んだせいもあり、不治の病いで入院することとなった。そして何度か入院先
に許可を求めに来る私に最後まで首を縦に振ることなく他界したのである。
父の死後私は自分の考え通りにこの店を改装し、結果は大成功で会社全体も
大きく伸びる引き金となったのであるが、私はそのことを私自身の考えが正し
かったとして自慢する気などさらさらない。むしろ、父が身体を張って私に教
えようとしたことがこのことの一番奥にありそうに思えてならないのである。
経営とは自分の力不相応なことを無理にやろうとするところから破綻を来たす。
決して自分の能力以上のことをやってはいけない、ということであろう。
父の死後十六年。引き継いだこの会社を大きな間違いをせずにここまでやっ
てこれたのも、父のこの最後の教えがあってこそのことと有難く思っているの
である。
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石村 悟
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昭和23年6月14日生
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福岡市出身・福岡市在住
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〈好きな言葉〉「吾れ以外皆吾が師」