人の心−おむつのにおい
今田 章
日本は経済大国と言われる迄になったが、あまりの急激な成長で大切なもの
が忘れられ、見捨てられている。それは家族のつながりと、人の心である。物
質的には豊かになったが、日本人の心は貧弱になった。日本は諸外国にうらや
ましがられてはいるが、尊敬されていない。相手の立場になって考えることは、
一応は知っていても、実行が必ずしもともなわないきらいがある。
ある病院に友人を見舞いに行った時、看護婦さんがシーツの取替えに来た。
患者はあとにして呉れと頼んだが、看護婦さんは、あとの仕事の都合か、何の
応答もせず、見事な手さばきでまことに手際よく、患者をクルクルと丸太の様
にころがして、シーツを取替え、サッパリしたでしょうと、大声で言っていき
おいよく病室を出て行った。
サッパリしたのはいったい誰でしょうか。
排便のにおい消しの薬が開発され、売出されている。おむつを替えることを
義務的に、事務的に任務としている介護人には良いものが出来たということで
しょうが、さる病院の治療と看護にあきたらず、無理に退院させて、自宅で七
年間、舅の介護をしている奥さんが「便のにおいがなくなると、病人の調子を
知る手だてがなくなる。においのいやさより、においのある便によって、介護
の喜びを感ずるようになった。また、その喜びを私が感じたときは、患者にも
判るとみえて、病人の表情もなごやかになり、眼の動きに反応があらわれる」
と申しておりました。
この言葉に私はいたく感動した。人の心のにじみでた、忘れられない言葉の
一つである。
心は大切にしたいものである。
私事で恐縮ですが、私は昨年十月と本年一月に実弟と義弟を癌で失った。
終末期から臨終まで四、五日付添った経験と実感だが、死期の迫った弟が、
力をふりしぼって一生懸命喋舌っている。何かを訴えているようだが、何と言っ
ているのかわからない。看護婦は勿論、奥さんでもわからない。疲れるから止
めなさい、ゆっくりおやすみなさいと、無理に寝せつけようとしている。しか
し、患者は止めない。しきりになにかを喋舌り続けている。
読唇術、読唇法と申しましょうか、唇の動きだけで言葉をききとる術はない
ものでしょうか。唇の動きだけで、人間最後の言葉を聞きとる人を至急養成す
る必要があると、つくづく思った。
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今田 章
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大正8年9月25日生
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山口県玖珂町出身・北九州市在住
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〈好きな言葉〉「千人の諾諾は一士の諤諤に如かず」(史記)