振り子
大木 二郎
 私の家に古い柱時計がある。ねじ巻きである。古いが捨てがたい。時々油を さす。今も忠実に動いている。ある想い出がその時計に愛着を覚える。
 私は、旧制高校の入試最後の日の英文解釈に取り組んで居た。殆ど分明し、 一問を残すだけになった。ところが、ペンジュラムという単語が私を悩ました。 その一語で訳が出て来ない。前後の脈絡が不分明。私は焦った。限られた時間。 両親の期待に反して不合格の運命に泣くのか。私は嘆き乍ら不思議にも中世の 伝説を想い起こした。
 愁いの神が河辺で粘土の土塊を見つけ一片で人形の土偶を造った。勿論、口 がきけず、歩きもしない。あきたらなく愁いている時、魂を与える神ジュピター が通りかかる。お陰で土偶はピノキオの如く口をきき、歩きだした。でも愁い の神は再び、名前のないことに悩む。ジュピターは当然、吾の名前をつけよと 主張。争いの最中、土の神が頭をもたげ、私にも名付け親の権利ありと主張。 三人の争いが続いている時、土の神が通りかゝり、時の氏神を買って出た。夫 婦喧嘩最中の電話にも似ている。仲裁の判定は、ジュピターよ、此の土偶の死 せし時魂を取り戻せ。土の神はもと土に返せ。愁いの神は土偶の創始者故、土 偶の生きている間、愁い、悩みつづけさせよ、であった。
 愁いの神は、名前はどうすると拘る。
 名前は土から造ったのだからフムス(土)、と解決する。
 ほんとに短い時間にぼんやりこの伝説を想起していた。私の運命はペンジュ ラム一字で不合格。愁いは尽きないのか。
 その時、偶然にも、隣席の受験生の答案が机上からずれているのに気付いた。 視るともなしに私の眼に「子」という文字が映ったのである。私は天啓の如く、 振り子の子だと直感した。それからは残された短い時間を荒海を走る帆をちぎ れられた船の如く書き続けた。終末のベルよ、もうちょっと待って、と祈る如 くに。
 それかあらぬか、合格発表の日、掲示板に私の番号があった。隣席の人はそ の後戦死した由。
 私は若い頃痩せていたので、軍隊の経験がない。戦後五十年、生死を共にし た戦友がいない。私の忘れられない極限状況は従って平々凡々。鬼気迫るもの がない。依然として愁いの神の支配下に。もしもあの時天啓がなかったら   顔を上げると、柱時計が夜半の二時を告げた。
大木 二郎
明治45年3月5日生
東京都千代田区出身・鹿児島市在住
〈好きな言葉〉「人を信じない。裏切られることがないから」