継続は力なり
大野 隆司
還暦を過ぎた歳になるせいか、このところ友人や知人から退職の挨拶状が届
く事が多くなった。さらりとした葉書もあれば、友達の思い入れが十分込めら
れた手紙もあり、奥さんや子供さんの心尽くしに感謝の気持を加えたのもある。
いずれも仕事に情熱を傾け、金色に、ばら色にと輝いた人生を一段落させた友
人達のまだまだ若い顔を思い浮べて、大変感慨深い。
ふりかえれば、私共の子供の頃は、戦禍を避けての疎開や、敗戦による引揚
げ等今の時代から思えば日本全体が耐乏生活の日々であった。
当社は祖父が大正十年、主に鉄道用品の販売店を創業以来、人間で言うなら
ば喜寿を迎えようとする歳月が経とうとしている。その間、人生の如く、数々
の紆余曲折があり、軍の命令によって昭和十九年工場も油須原に強制疎開となっ
た。ところが、今度はすぐに終戦となり、昭和二十三年門司に復帰再会するま
でに、血のにじむ苦闘が続く事になった。
父は常々「最悪の事態を予測して事に臨め」とか「嫌な事から先に解決する
努力をせよ」と言っていた。これは、三十代で身を以て戦時下の激動の会社を
支えた体験から得た言葉だったのだろう。世の中が落着き、少しずつ産業に活
気が出てきた。私が学校を出た頃には、父のこの言葉はほとんど実感できなかっ
た。
ところが、この言葉は、私が社長に就任したと同時に現実味を帯びたものと
なった。国鉄民営化の直後で、まさに当社は大海に漂う小舟の様で、先の見通
しも立たず、運を天に任せて、亡き父のこれらの言葉を思い起し背水の陣で臨
む以外になかったのである。
現在、会社が継続しているのは、御得意様を始め多くの人生の先輩、知人、
友人、社員、家族等の暖かい温情と支援のおかげであった事は言うまでもない。
決してこれらの方に感謝の念を忘れてはならないと思っている。そして、もう
一つ父が常々言っていた言葉が、厳しい状況のもとでは、本当に骨身にしみる
助言となったのも忘れられない事である。「無理をして何もかも失う事になっ
たら?」という漠然とした恐怖と闘いながら、しかし会社を継続していかねば ならない責任と、会社を発展させたいという希望を胸に抱いて「線路は続くよ、
どこまでも」という唱歌の様に、長く銀色に輝くどこまでも継続する会社にし
たいものである。
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大野 隆司
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昭和9年11月2日生
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北九州市出身・北九州市在住
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〈好きな言葉〉「継続は力なり」