苦しみに克つ
岡本 康夫
鍛冶屋の倅に生まれた私は、友達と休みの歩調が合わぬこともあって、一人
でよく山に登った。
登山は動的には身体を激しく動かし、体力の限界に挑戦することもしばしば
あると共に、靜的には花や樹木を眺め、新鮮な空気を胸一杯に吸い込み静寂の
なかで思索する時を持つ。動と靜を併せ持った趣味だと私は思う。
登山は自然のなかで行うもの。厳しさと優しさの両面があり、それなくして
は自然とは言えない。人生に於いてもこの二つの面 快く、優しく、楽しい
面と、厳しく辛い面を体験することが自然な人間ではないだろうか。片方しか
みせぬのは不自然である。
私の場合、始めのうちは山が高くてもひ低くても、その頂上に立つことが喜
びであり、その為にのみ登ったといっても過言ではない。それは丁度、草野球
のようにプレーの内容より勝つか負けるかが興味の焦点であったように。
「きつい。休もう」「さっき休んだばかりじゃないか。あの尾根まで行こう」
「尾根に着いたぞ。腹が減って歩けない」「今、飯を食ったら帰る迄腹がもた
んぞ」仕方なく歩く。「もうバテた。テコでも動かんぞ」「頂上迄一時間だ、
頑張ろう」
頂上に着いてにぎりめしを食って元気が出た。下りになって又腹が減った。
「降りたらウドン食わせてやる」 「俺はテンプラウドンがいい」「それよ
り素ウドン二杯にしよう」「俺はビールが飲みたい」「そんな銭はないぞ」
自問自答しながら独り歩く。
マラソンを走る人達。勝ち敗けは始めから、あらかたわかっているはず。苛
酷とも言える体力の限界に挑戦することが楽しくて走るのだろう。
山歩きも同じこと。休みたい気持ちと頑張る気分。そのうちに「己に克つ」
こと。次第に身につけて歩くのである。
私が実社会に出初めた頃の忘れられない思い出です。
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岡本 康夫
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大正11年3月28日生
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山口県下関市出身・下関市在住
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〈好きな言葉〉「爺が死ね、親死ね子死ね孫が死ね」