憧れの甲子園球場
沖 俊作
 「二番、サード沖君」夢にまで見た甲子園球場にアナウンス嬢の美声がこだ ましました。球審に一礼してバッターボックスに入ったものの、心臓の高鳴り は押さえようもない。幸いにボテボテの内野安打で一塁ベース上に立った時、 ようやくにして心臓の鼓動はおさまった。
 それは、昭和五十九年の六月、私が四十六歳の時の出来事であった。
 かつて新聞紙上を賑わした阪神球団の元社長である小津正次郎氏(現西宮甲 子園ロータリークラブ会員)がコミッショナーとなって、全国ロータリークラ ブ野球大会なるものが甲子園球場で開催されていることを我がクラブ(兵庫県・ 南淡ロータリークラブ)の誰かが聞きつけてきた。確か昭和五十八年の暮れの ことであった。
 早速、野球好きの連中が集まり、ひとつ挑戦してみようではないか、と話は トントン拍子に決まり、即日クラブ内に野球同好会が誕生した。
 以後約半年、週二回、午後四時から六時の特訓が始まった。監督の指揮命令 には絶対服従というのが我がチームの不文律であり、このトシになっても「ハ イ」と従うのは、私にとってはある種の快感にさえ思えた。練習後の酒盛りも 今では楽しい思い出である。
 猛練習の成果があってか、その年参加にも拘らず参加四十六チームの中、思 いもかけず準優勝することが出来た。更に翌々年の昭和六十一年には全国優勝 にも輝き、田舎クラブがこの道では一躍有名になった。薄氷を踏む接戦、殊に 自ら逆転打を放ち勝利を物にした数試合は今も脳裡に深く焼きついている。
 冒頭に書いた“心臓の高鳴り”、どうもこれは私だけのことではないようで ある。A君などは初出場の試合前十分間に四〜五回も小便に通い、ナインの失 笑を買っていたようである。私もその一人であるが、野球経験が多ければ多い 程甲子園は血湧き肉踊る舞台のようである。爾来十年余り、引き続き甲子園で プレーをさせて頂いているが、あの時の感激を何時までも忘れずに甲子園を楽 しみたいものである。
 常に新鮮な気持で、同じ目的に向って、チームワーク良く、しかも互いの技 量、持ち味をフルに発揮してこそ大きな成果が生まれる甲子園。フィールドこ そ違え、事業もまた然りか。 
沖 俊作
昭和13年4月10日生
兵庫県南淡町出身・同町及び北九州市在住
〈好きな言葉〉「正解はひとつに非ず」