元横綱栃錦の一語
金子 太郎
昭和三十年代の大相撲を盛り上げたのは、栃錦と若の花の二横綱で、今も栃
若時代として語り継がれている。
その栃錦は、私と同じ大正十四年生まれだから、彼が現役で活躍している間
は、「上司と意見が違って役所を飛び出しても、まだ土方をすれば食っていけ
る」と思っていた。だから今から思えば、職場で随分言いにくいことをズケズ
ケ言ったものだ。それで飛ばされることも無かったように思うから、若い頃勤
めた大蔵省という役所も、ちょっとしたところであった。
ところが栃錦が「体力の限界を感じて引退する」と聞いた時は、何やら淋し
い感じがして「俺もあまり我儘を言わない方がいいのかな」などと考えたこと
が、昨日のことのように思い出される。
その栃錦が引退して春日野親方になり、ついで相撲協会の理事長になった時、
一夕、親方を囲んで懇談する機会をえた。
そういう得難いチャンスに恵まれた時、私は必ず日頃から質問したいと思っ
ていることを遠慮なく訊くことにしている。私は早速切り出した。
「親方、貴の花(現花籠親方)は、背中に叩かれた青いアザが消えませんね。
天下の大関を、何も青竹で叩かなくてもいいのではありませんか。花籠部屋の
荒稽古は有名ですけれど「ゥゥィ
それを聞いた春日野親方は、それまでの柔和な表情を、一瞬キッと厳しく変
えて
「それは違います。力士を鍛えるのに、例えば足が流れて投げを食らった時、
起き上がってきたのをつかまえて『今はお前の左足が流れたから、上手投げを
かまされたんだよ』と注意しても、利き目は全然ありませんよ。左足が流れた
瞬間に、青竹でビシッと叩いてやらないと駄目なんです」
私は一瞬目からウロコの落ちる気持ちがした。それ以来、部下の躾に当たっ
ては、ミスをした都度、厳しく注意するようにしている。少なくともこれから
伸びると思われる若者には、ミスをしたらその場で叱るのが、本人の成長のた
めにも最も有効なことが分かった。
相撲協会が経営・資産の両面で今日あるをえたのは、歴代の理事長の経営方
針が優れているからだ。その秘密についても春日野親方は「経営のことは何も
分からないから、財界後援者のご指南どおりにやっているだけ」と謙虚であっ
た。
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金子 太郎
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大正14年8月30日生
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中国青島福山路出身・東京都目黒区在住
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〈好きな言葉〉「虚心坦懐」