平成元年という年
是則 宗興
道なかに 咲くやこの花
花にだに 縁なくしてわれ逢ふべしや
たしか金田一京助先生の歌だったと思う。道端に咲く一輪の花との出会いが実
に感動的である。
人との出会いは正にそれ以上であろう。
私が昭和四十八年宮司に就任して二年後、池田泉氏を氏子会長にお迎えする
ことができた。「私も丁度還暦、少しでも皆様のお役に立てば」とのおことば
だった。その頃私は、昭和六十四年に迎える御鎮座千百年祭が一生の仕事と考
え、実現できそうもない絵を描き続けていた。
会長がよくお詣りされる一畑薬師さんが戸上神社とほぼ同じ時期に千百年を
迎えるということで御紹介いただいた原稿を参考に、事業目標として大きく 「神社の環境整備」「施設設備の充実」と二つの柱を立て、社頭に早々と看板
を立てることから始まった。
会長を中心に氏子会の和が大きく拡がり、さらに千百年記念事業奉賛会が結
成され、募金活動も軌道に乗り展望が開けたとき、改めて池田会長の人徳の偉
大さに驚嘆した。「絵が出来たら完成したのと同じだよ」と、いつも会長はさ
り気無く言われた。
目標の昭和六十四年も瞬く間にやって来たが、一月七日昭和天皇の崩御、御
代も平成と改まりその元年が奇しくも戸上神社御鎮座千百年に当たる忘れられ
ない年となったのである。
一年間の諒闇も明けて、待望の千百年記念事業も着々と進行、境内整備・新
社務所・職舎の竣工と、私の描いた絵が次々と現実に成って行った。
平成四年十一月記念事業落成、平成六年十一月池田会長を団長に二百名近い
伊勢神宮記念参拝旅行団を結成、第六十一回式年遷宮を了え新装成った神宮参
拝も済ませ一段落したのも束の間、明けて平成七年四月十日思い掛けず会長は
卒然と逝ってしまわれた。
今、社務所からの整然たる神社の佇いを眺めながら慌ただしく過ぎ去ったこ
の二十年間を思い、若し池田会長との出会いがなかったなら、これ程の記念事
業はとても成し得なかったろうと会長の大きなお姿をしみじみと思い浮かべて
いる。
私も今年は還暦、恵まれた人との出会いに感謝し、世の為人の為に、と思う
この頃である。
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是則 宗興
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昭和11年3月20日生
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北九州市出身・北九州市在住
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〈好きな言葉〉「人生意気に感ず」