古く懐かしい日々
後藤 達太
戦後五十年、人それぞれに思いは多いに違いないが、大正ロマンティシズム
と言われる時代に生まれた私達の青春時代の追想が、いずれのも戦争の色濃い
ものとなるのは当然であろう。
戦局の悪化とともに急速に厳しさを増してゆく物資の欠乏と、軍隊生活経験
者はもちろん、全国民に加えられた精神的弾圧の下で、またそういう時代であっ
ただけに一層私達はファッショによる非条理な暴力の横行を憎みながら、家族
や社会、そして美しい山河と厚い情誼に結ばれ、優れた独自の文化を生み出し
た民族の祖国を何としても護らねばという使命感によって、それまで以上に互
いに強く結ばれていたことを思い出す。死を賭しても護らなければならない懐
かしい祖国の姿が我々一人一人の胸の中に描かれていたのである。
戦後五十年、わが国の経済は、かって世界に例を見なかった程の急速度の発
展成長を遂げ、経済大国を僭称するまでになった。しかし、冷戦終結後の世界
の秩序形成のリーダーとして担うべき役割について周囲の国々からその抱負を
求められたとき自信をもって世界に披瀝すべき抱負の用意がまだ政府になかっ
たことは残念でならない。責任を忘却した自由ばかりが声高に主張され、物的
な豊かさが怠惰をうみ、理想を高揚すべき精神はなお発育不全のままである。
さきの戦争について多くの事実が確認されていないにも拘らず、侵略者は常に
日本であり、戦地の残虐行為はすべて日本人の将兵の仕業であるときめつけ、
いわゆる戦勝国の国際法違反行為には、一言も触れ得ないトーンの、いわゆる
わが国の進歩的文化人達の自虐的ともいうべき日本批判が、戦後五十年経った
今日でもなお、ことあるごとに映像や紙面の大半を占領する状況下では、政府
の姿勢も弱腰にならざるを得ないのかもしれない。しかし、このような状況が
続くならば、若い次の世代に日本国民としてのプライドを求めるのはいよいよ
無理なことになって了うだろう。
戦時体制下では、一部のファッショの横暴の屈していた庶民も、平和と民主
社会の再来によって新しい活力の芽をふき、戦後経済の目覚ましい復興発展を
なし遂げたが、わが民族の忍耐強い勤勉さはいつか経済のみならず、精神文化
の再生を果たすに違いないと信じたい。そしてその原動力となるのは、新旧い
ずれの世代にとっても、いくつになっても忘れ得ぬ、古き良き時代を創ったわ
が国の歴史と風土であることは間違いない。
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後藤 達太
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大正12年10月7日生
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東京都出身・福岡市在住
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〈好きな言葉〉「心に太陽を持て、唇に歌を持て」