父と私の北極星
四島 司
さて、「大切な忘れない言葉」と考えると、はたと困ってしまう。私は欲ば
りだから、本を読んだり話を聞いたりして、気持ちにぴったりの言葉を見つけ
ると、すぐに胸のポケットにいれてしまうからだ。
今日の私は昨日の私ではないし、世界も日々刻々に激変している。真理は変
わらないだろうが、私は"動"の世界が好きだから、自分の内の細胞が踊り出す
ようなみずみずしい言葉を発見すると、ついいただいて身にしけてしまう。
しかし、そうは言っても、それらを総括した自家製の根っこのようなものが
あって、私の思い入れになっている。
それが「北極星を胸に」で、毎春の入行式で十年一日のように話している。
と言って、日常で顔をあわしている支店長たちに説法している訳ではない。
なにか、炎のようなものを追っているひたむきな事業家の人たちにエールを
おくりたいことは、彼らが十分に承知しているだろうから、私の風を自分なり
の言葉に翻訳して受けとめてくれればいいのだ。
少々酒がはいってくだけたときに、A君が私をきっと見て、「わたしは頭取
の顔を見ていない。私はあなたの志につき合っている」と言った。酒のたすけ
はあっただろうが、その昂りがまぶしかった。「北極星か、もう少し若ければ」
と冷やかす悪友もいる。しかし、私は志に定年はないと思っているから、多分
死ぬまで、この言葉を胸に温めつゞけていくだろうと思う。
年来、孫の可愛さはひとしおだが、同じ遺伝子によって、私に流れている志
の、明日への伝承を期待しているからではあるまいか。
身辺のことで恐縮だが、父は生前に風変わりな大きな墓をつくり、墓碑銘の
かわりに碑の正面に「祖先に対する最上の祭りは、道を守り業を励むにあり」
と刻んだ。
気持ちを託した遺伝子が呆けてしまわないように、生前さんざん親不幸を重
ねた私に、烈々の言葉を残したのだろう。親父流儀の「北極星」で、これがい
ちばん忘れられない言葉だなと思いながら、彼岸にはお墓参りで、頭をコツン
と叩かれてこよう。
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四島 司
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大正14年1月1日生
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福岡市出身・福岡市在住