先生
宗 勝憲
昭和三十三年、四年頃、小倉市(現北九州市)は今と比べると結構豪雪で大
いに雪に楽しみ、雪に悩んだ日が思い出されます。
当時、私は高校受験の為福岡学芸大学付属小倉中学校で大好きな野球もやめ
て地元の小倉高校、東京の慶應義塾高等学校、早稲田学院を目指しており、な
んとか慶應義塾高等学校に入学する事が出来ました。東京もその頃は長靴が必
要な位積雪量が多く、その様な中で日吉に高校、大学と通う第一歩を踏み出し
ました。
塾高は男子高校で、その附属の中等部、普通部から進学する者と地方から進
学してきた者とで構成されているのですが、何故か、雰囲気は私が今迄学んで
きた環境と比べてまったく異なったものでした。学内の掲示板には、しょっちゅ
う停退学野氏名が貼り出され、自由闊達の割には大変厳しいところがありまし
た。
塾高一年生の時、私は言葉遣いを小倉弁から東京弁に、髪も丸坊主から長髪
に、靴もズックから皮靴にして毎日、新鮮な空気を一杯吸い込んでいた感じで
した。そういった中で英語の授業の時でした。
教師(女性、名前を忘れてすみません)から私にこの文章を読みなさいと指
され、「はい、先生」と答えて立ち上がった時、その教師から注意を受けまし
た。
「先生」という人はこの学校には居りません。自分は貴方達よりも知識を多
く持っているから教えているのであって当り前の事をしているのです。「先生」
戸呼ばれる立場に無く、居るとすれば「福沢諭吉先生」だけです。これからは、
自分に対して「さん」でいいのですよ、と教わりました。この言葉に私は今迄
なにを教わってきたのだろうか、頭をガッツンと撲られた様なショックを覚え
ました。これが「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の事なのか
と。
以来、私は実社会に入っても肩書の呼称でなく「さん」で言わして頂く事が
多く、肩書で言う際、何故か、私はモゴモゴと言う状態が今も続いております。
年の上下、役職の上下は「人」の前では常に平等でなければ、と思っており、
国会議員の方々がお互いに「先生」と呼び合っておられますが、「先生」の意
味も多岐に亘って使われているのだなぁと思っている次第です。
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宗 勝憲
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昭和15年6月7日生
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北九州市出身・北九州市在住
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〈好きな言葉〉「頑張れ! 頑張れ!」