パートのおばさんこそ特別焼香
高藤 昌和
 生前、権力嫌いだった父が折りにふれ、「葬儀で特別焼香というのがあるが、 あれはなんだ。どんな基準で特別焼香を決めるのか?」「時間給の仕事を休み、 自分の収入を減らして線香を上げに来たパートのおばさんこそ特別焼香ではな いのか−お前は葬儀に参加して給料を差し引かれるか?」と言ったものです。
 「肩書社会」「名刺社会」ではあるが、肩書や名刺にまどわされるな。肩書 はなくても、世の中には素晴らしい人がたくさんいる。学者、芸術家、医師、 政治家など「先生」と呼ばれる人からサラリーマン、役人など、人は職業や社 会的地位以前に一人の人間であることが大事で、裸の人間としての尊さ、価値 を忘れるな−という戒めです。たしかに故人を哀悼し安らかな眠りを祈る惜別 の心を職業や社会的地位でランクづけするのもおかしなことだし、人間ホトケ になっても、“肩書社会”にがんじがらめというのも気の毒なことです。西郷 南洲が好きだった父らしく、葬儀を引き合いに肩書主義をたしなめたのでしょ うが、昨年七回忌を終えてなお時折り思い出しています。
 自分の生命を予感していたのでしょうか、旅立つ半年前にはこんなこともあ りました。
 あまり過去のことをふり返らない父が、その時は自分の人生を総括するよう に「自分は貧しい家に生まれたお陰でいい人生を送ることができた。自分の思 い通りにやりたいことはすべてやった」と満足した面持ちでした。名もない貧 しい家に生まれたから家格にも資産にも縛られず、自分の思いのまま全力を尽 くすことができ、貧しいが故に見えたものがたくさんあったのでしょう。
 そう自分の人生をふり返ったあと、「お前が社長を辞める時は相談せず自ら 決断せよ」と教えました。そこで「いつ決断するのか」と問うと「お金に執着 する時−お金を溜めたくなった時には社長を退け。その時お前は経営に自信を 失っているのだ」「ライオンがいつでも餌を捕らえられる時は餌を蓄えなくて いい。餌を蓄えるのは体力、気力が衰えて獲物を捕らえられなくなった証拠で ある。獲物を狙うことから逃げだしたその時は社長の資格を失った時である」 と語りました。
 日露戦争が始まった明治三十七年に生まれ、高等小学校を出て釜山の建築会 社に弟子入りし、兵役が終わって復職後本格的建築家を志し早稲田大学附属工 手学校で苦学して二十八歳で独立。敗戦により四十一歳ですべてを失って門司 に引き揚げ、再起に奮闘した父ならではの片言。不肖の私にとっては至言と思っ ています。 
高藤 昌和
昭和8年7月3日生
大阪市出身・北九州市在住
〈好きな言葉〉「人生は成功か失敗かではない」