お慈しみに浴して
出口 次年
 それは昭和六十一年八月、山口県で全国高等学校総合体育大会が開催された 年の事です。開会式に御臨席になられた皇太子殿下と紀宮様が宇部空港から御 帰京になられる御予定の日でした。
 「間もなく皇太子殿下が空港に向って通過されます」と、近くのスピーカー から有線放送の連絡が聞こえた。「おや、此方をお通りになられるのだ」。丁 度弟の法要に集まっていた親族達は、近所の郊外料理店でお斎の席についたば かりであったが、早速お見送りに立ち上がった。
 布の日の丸の小旗が一本しか用意されていなかったので、おさない子供達に は料理店で紙の風車を買って持たせ、道路に出た。道路は国道から空港通りに 繋がる短い坂道で、お見送りに出ているのは坂の中頃にお待ちしている私達だ けであった。
 間もなく先導車が坂道を下り始め、後続の車の開いた窓から紀宮さまの手を 振るお姿が見えた。子供達は紀宮様に向って一斉に風車を振った。その時、一 瞬紀宮様が車の内に向かれると、車は速度を落し、皇太子殿下が身を乗り出す 様にして笑顔をお見せになられ、子供達にお優しい眼差しを向けてゆっくりと 手を振ってお応え下さるのであった。子供達は夢中になって風車を振り、私は 溢れそうな涙を辛抱して旗を振った。皇太子殿下と紀宮様は坂下の角を曲るま で、振り返って手を振って下さり、お車は角を曲ると速度を早めて見えなくなっ た。車の列が遠ざかると、子供達は私の方を向いて、「お姉ちゃんが手を振っ てくれた」「おじちゃんも」「そうか、よかったな」「うん、よかったぁ」。 子供達は目をキラキラさせ、足取りも軽く元の席に戻った。
 皇太子殿下が子供に向けられたお慈しみ溢れる眼差しは、子供達の純粋な眼 にどの様に映ったであろうか。また、この子供達が成人して、手を振って応え て下さったお方が、どなたであったかが解る頃まで、あのお慈み溢れる眼差し を覚えていてほしいと思いながら私も席に戻った。
 皇太子殿下はお見送りした僅か十数人に対しても、全心全霊を尽してお応え 下さった。その時のお慈し溢れた尊い御容姿は私の心に焼き付いており、十年 を経過した現在でも昨日の様に思い出す。正に私の「忘れられないこと」なの である。
 当時の皇太子殿下が現在の天皇陛下である。全霊を尽くして国民を慈しまれ る天皇陛下の存在、それが我国の国体の真髄であると私は信じている。
出口 次年
大正11年12月22日生
北九州市出身・北九州市在住
〈好きな言葉〉「省−かえりみてはぶく」(安岡正篤)