J君への手紙
中村 昭三
J君、就職内定された由。よかったですね、おめでとう。ご両親も愁眉を開
いておられることでしょう。
今、ホーチミン市(サイゴン)のホテルで、この手紙に向っています。注目
のベトナムをこの目で見たくてやって来ました。政治の中心ハノイ市と経済の
中心ホーチミン市を三日間づつの短い日程でしたが、刺激に満ちた、印象深い
旅でした。
この国は千年以上も中国に侵略されては撃退する紛争を繰り返し、近年になっ
てもフランス、アメリカと戦い、更に南北統一後もカンボジア出兵を余儀なく
されるなど、つい六年前までは戦いに明けくれていた不幸な国です。それなの
に人々の表情にその翳りはみじんも見られず、むしろ、フランスにもアメリカ
にも「勝った」という民族的な自信が面に表れているようすにすら思えました。
東欧の社会主義国が崩壊する(一九八九年)十年も前『ドイモイ』運動は始まっ
たと聞きました。そこにも、この国のしたゝかさがうかゞえます。
ベトナムの一人当たりGNPは二百五十ドル、日本の約百二十分の一の規模
です。南部の慢性的電力不足、港湾施設の不備など、インフラの面でも未だ農
水産業国の域を脱していませんが、石油、ガス、石炭、亜鉛、アルミなど資源
に恵まれ、その上何より、勤勉で、忍耐強く、聡明な七千五百万人の人たち。
この国の将来はすごいぞと、戦慄のような予感がします。特に若者たちの目的
意識に燃えた目の輝きは印象的でした。
今度の旅の間中、燗熟して行き場すら見失ってうろうろしている日本のこと
を何度も翻って考えました。こうしている間にも、ベトナムに限らず、東南ア
ジアの国々は、着実に歩を進めている。十年後はどうなっているのだろうか、
二十年後は…。我々は次の世代に不安のないように、ちゃんとバトンタッチが
出来るのだろうか。若い人達はしっかり引継いでくれるだろうか。日本こそ 「ルック ウエスト」だなとつくづく想いました。
J君の新しい旅立ちのはなむけに、三十七年前に就職試験用に読んだシュバ
イツァーの伝記の中に見つけた言葉で、私の処世訓にしていることばをあげよ
う。
「認識は悲観的に、行動は楽観的に」
このあと、スリランカを廻って帰ります。その頃には、日本は秋になってい
ることでしょう。
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中村 昭三
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昭和9年3月18日生
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山口県下関市出身・福岡市在住
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〈好きな言葉〉「夢」