やさしい先生
福山 庸治
今でも文箱の中に入江侍従長の便箋二枚にペン書きの歌があります。
おくて田のたり穂きばみてひかる日や 周防ながとを風ふきとほる
ほか二首は吹上御苑で詠まれたもので、この歌は、侍従長が昭和三十八年十月
の山口国体の時に詠まれ、私方にお泊まりになられた際、揮ごうされた歌の解
説をされた時のものであります。その時、周防長門は雄大すぎるかなと笑って
おられたご様子は、今でもありありと脳裏に刻まれています。私方の茶室で筆
いっぱいに墨をふくませて、水の流れるような見事な筆はこびにただ一生懸命
紙をおさえていました。大変穏やかな、威張ったところのない慈父のごとき印
象をもったのであります。歌は人なり、書もまた人なりと申しますが、急逝さ
れた後、入江家は世々歌道をもって皇室に仕え、また、父為守氏も昭和天皇の
皇太子、摂政時代の東宮侍従長であり、父子二代にわたる側近であることを知
り、むべなるかなと思った次第であります。
また、その折、高貴な方がお泊まりになられた際のお部屋の調度品はどのよ
うなものを置いたらよいでしょうかとお尋ねしたところ、掛軸は贋物や今で言
うコピーものでなく、本人の描いたもので季節にあったもの、季ちがいのもの
なら、例えば夏なら冬の雪景をかけるとか。そして書は出来るだけさけた方が
よい。もし掛けるなら、亡くなった方のものにしなさい、と言われました。私
も三十二歳の若さでもありましたが、子供にものを教えるようにやさしく懇切
に話されたことを思い出します。
その後、高松宮ご夫妻様、三笠宮ご夫妻様、常陸宮ご夫妻様とご宿泊をいた
だき、また、平成二年四月には皇太子殿下のご宿泊の名誉にあずかるなどいた
しましたが、そのたびに入江侍従長を思い出し調度品になやむことはありませ
んでした。
因みに皇太子殿下のお泊まりのときの掛軸は、殿下にご縁のある東大寺元管
長・清水公照氏が当方で描かれた春爛漫の絵と賛のあるものにしましたが、殿
下もなつかしくご覧になった、と侍従の方よりお伺いしてうれしうございまし
た。これもひとえに入江侍従長のお陰であると共に、ホテルの主をしてよかっ
たと思うこの頃であります。
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福山 庸治
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昭和6年1月23日生
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山口県徳山市出身・徳山市在住