父の言葉
三島 正一
父は昭和三十三年頃自宅の離れに造った「新月庵」と呼ぶ茶室で毎朝お袋と
共にお茶を点てるのを日課としていました。昭和四十九年頃から父は「会社を
経営していく上で、精神的に高める茶道は非常に役立つのではないだろうか。
お前も茶道を嗜み、一緒にやらないか」と誘いました。無縁のものだと思って
いた私は即座に断っていました。
其の後父の持病であった糖尿病が次第に悪化し入退院を繰り返すようになり、
昭和五十一年、私の社長就任を機に、親孝行のつもりでとうとう茶道を始める
決心をしました。父から手ほどきを受けて作法を覚えたのですが、覚える事よ
りも、出張以外毎日欠かさずお茶を点てる事を継続することの方がはるかに辛
いものでした。早朝、つまり出社三時間前に起き、お茶室の掃除をし、レンジ
で種火をおこし、そして炭点前をする。約一時間でお釜の湯が湧くとお点前に
入る。お点前以前の準備に随分の時間を必要とするので、深夜帰宅の多い私に
とって継続するにはかなりのエネルギーが要求された訳です。
「動」の準備とは打って変わり、「静寂」そのものゝお茶室で、亭主は客に
対して如何に美味しく点てるかに心砕き、お湯の加減(温度や量)に気遣い、
客は亭主の心こもる気配りを汲み取り、お茶を頂くことに感謝し頂戴します。
この双方の気持ちが和やかな楽しい雰囲気をかもし出し、茶道の境地に浸れる
のではないかと思います。
この双方の関係こそが、社会・会社・過程に於いても大切なことだと考えま
す。我を張らず、相手に対する心配りを忘れてはならない事を、私は茶道を通
じて教えられた感がいたします。
茶道は型から入るのですが、型にとらわれない豪放磊落な大きな世界が存在
する様に思います。その大きな世界に身を置き、ひと時を無心の境地に、或い
は本来の自分を取戻し自然体で過ごせることが本当に有難く、父の勧めてくれ
た言葉なくして今の自分があり得ないことに、改めて父に感謝しています。
唯今の企業競争は厳しさを増し片時も気の休まる間もありません。このよう
な時こそリフレッシュし「ゆとり」を持てる茶道は貴重な存在です。
父から言われて始めた茶道でしたが、その奥義の深さに益々魅かれ、父の意
志を大切に今後も精進してまいりたいと存じます。
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三島 正一
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昭和14年8月22日生
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北九州市出身・北九州市在住
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〈好きな言葉〉「何事も一生懸命」