一枚の新聞紙と「一日10分」
渡辺 守将
 私は十二年前、ある神父から登山に誘われ、近くの標高五百八米の戸ノ上山 に登った。この位の山ならば、日頃から鍛練した身体だから、楽に登れるだろ うと出発した。登り初めて登山がこんなに苦しいものかと思い知らされ、自信 を失うと同時に体力の衰えを見せつけられた。早速下山しながらその対策を考 えていた。
 私はこれまで、「如何に人生を楽に生きてゆくか」をモットーにしてきた。 登山は苦しく、体力を必要とする。そこで、楽に登山をするためには日頃から 登山に適した身体づくりをすれば良いと近くのアスレチッククラブに入会し、 以降八年間通うこととなった。
 この頃、六十歳を人生の一区切りと考えていた私は、五十九歳で約五千九百 米のキリマンジャロに登ることにより、その体力と気力を試し、六十代からの 生き方を考えようと決心し、更にトレーニングに励み、平成四年八月にキリマ ンジャロ登山を実行した。
 いよいよ、当日、午前零時、四千七百七十米の小屋を出発し山頂に向かった。 ところが五千米少々の所で高山病に罹り、急ぎ下山命令に従った。登頂に失敗 し、下山をしながら後を何回も振り返っていたが、いつの間にか雪化粧してい る山頂が涙で見えなくなり、それを最後に二度とその姿を見ることはなかった。 後日その原因が体力に慢心した結果、歩くピッチが早過ぎたことが判った。
 この経験は私にとって大きな疑問となり、暫らく六十の迷いとなっていた。 その時、元東大教授、ロケットの開発、組織工学研究所所長、東京交響楽団理 事長等々の数多くの肩書で、現在八十三歳で大活躍されておられる糸川英夫博 士の一文に接した。先生は、人間はたとえ一日数分であっても、毎日何かを続 ければ、必ず進歩する。学ぶことに年齢は関係ないとして、六十二歳からバレ エを練習し、足を上げるために、一日一枚の新聞紙を毎日重ねて高くしていき、 これを五年間繰り返した。
練習時間は一日十分以下で、貝谷バレエ団の舞台に立つことができたという。 この一文は私にとって大きな一撃となり、更に勇気と希望と活力を与えて呉れ た。同時に、スピードの早い今日の時代だからこそ、この事が大切なことだと、 これからの時代を担っていく若者たちに生きる知恵を教えているのではないだ ろうか。
渡辺 守将
昭和8年1月24日生
北九州市出身・北九州市在住
〈好きな言葉〉「継続は力なり」