2006年(創立60周年)社員の思い

社長 高藤昌和
敗戦という有史以来の大転換の時に我が社が産声をあげ、それから六十年、今まさに大きく変革する年を迎えるのも何か歴史の因縁を感じます。十九名の同志が会社を興し、ゼロからのスタートでしたが、筆舌にあらわす事の出来ない試練や困難に立ち向かい、今日の我が社の基礎を創造して頂いた事にただ感謝の念を捧げ頭の下がる思いです。当時は看板も鞄も信用ない全く無名の我が社でしたが、全員が心をひとつにして、背水の陣でチャレンジしたことで一本の細い道があったということです。業界は現在構造改革の試練が続きますが、愚直に改革を続けることが本質で、社会に信頼され、お客様に信用されることが、この大転換の時代を生き抜くポイントです。創立時のあのチャレンジ精神を今一度再現しましょう。 「唯心所現」

(2006.2.25[Sat]) 
副社長 高藤元太郎
 私は、まだこの会社に戻って来て10年目である。以前、修行と言う事で、福岡の会社で働かせていただいていた。自分の心の中では、「まあ、3年ぐらい働いたら戻ろう。」と勝手にそう思っていた。しかし、3年・4年といつまで経っても、「帰って来い!」と言われない。ひとり、悶々とした日々が過ぎ、あっという間に、10年という月日が流れてしまった。
そして、あるプロジェクトが、オープンしたら、区切りをつけようと決心した。
今、考えてみると、決して その会社にとっては、良い社員ではなかったと思う。思い出すたびに、恥ずかしくなる事ばかりである。 それも、これも、自分がした事である。
自分の事も、満足に決められない、優柔不断な人間である。
やはり、自分の心の中に、甘えというものがあったのだと思う。
仕事というものは、決して、生半可な事では、うまくいくはずは、ないものである。
私自身、まだまだ、半人前であるが、日々、現状に満足する事なく、目標を持って 何事にも チャレンジしていきたい。

(2006.2.24[Fri])

 

常務取締役 高藤国雄
私が親父を覚えているのは、出勤前ゲートルを巻いている姿です。また親父の「お前は早稲田の建築学科に行って欲しい」の一言に動かされて、まったく親父の思うがままになってしまいました。
就職も親父任せで東京市ヶ谷の中野組(現在のナカノ・フドーコーポレーション)に入れてもらいました。
中野組の大島社長が全国建設業協会の会長の時、親父は福岡県の副会長として、知己を得ていたご縁でした。
私も入社して30年をすぎ、60年の半分ほどお役に立てたのかなといささか忸怩たるおもいがあります。この数年建設業の環境は悪化の一途ですが、創業当時をたどってみると奮い立ってくるものがあります。
今年は賃貸アパートを本社横に建てることになりましたが、わが社では始めての高層柔構造建築です。
今後30年の礎を築きあげる事に心血を注ぐ覚悟です

(2006.2.23[Thu])

 

常務取締役 土佐一彰
毎年記念すべき日を迎えるたびに、創立時の想像を絶する苦難と試練の日々、まして無縁の地で暗中模索の中から今日の我が社を築き上げられた先輩諸氏の苦労を思うたびに感謝と尊敬の念を抱かずにはいられません。
私の入社は昭和39年、折しも東京オリンピックの年、建設業が一躍脚光を浴びだした頃でした。入社後2年、大阪支店(当時出張所)に営業専任として転勤を命じられ希望と不安が交錯する中で先発に基盤を築いていただいていた山田元支店長、鳥越現支店長と共に一丸となって新規開拓に奔走した日々が懐かしく思い出されます。
当時の経験、苦労が今日に生きていると思うと未熟な自分を大阪、福岡に送って勉強させていただいた先代社長並びに現社長の御恩に報いるべくいっそう努力をと決意新たにしているところです。
築城10年落城1日、危機感のないところに緊張感は生まれないといわれます。まして緊張感のないところに企業のリズム感、成長は生まれません。この厳しい時代に生きているのだと認識して、次世代に誇れる我が社を創造する一翼を担うことが使命であると思っております。

(2006.2.22[Wed])

 

取締役 鳥越 英文
会社が大阪に店を構えて、出張所、営業所、支店と又仕事も順次増えて行き、今年7月に43年になる。私は昭和37年入社だからずっと大阪勤務である。とにかく一生懸命でした。年が若いと現場従事を拒否された事もあった。大分前に退職され家族ぐるみのお付き合いをしている。何人もこのような交流があり財産になった。大過無くきたとは思わない。特に阪神大震災は壮絶、騒然としていた。地震当日からトイレットペーパー、水筒、カメラ、弁当を持ち自転車で電車が開通するまで大阪、神戸を往復した。大変だった。ブルーシートを屋根にかけるだけでまるで神様に出合った見たいに喜んでもらった。作業服を着て自転車に乗っているとガス屋さん、水道屋さんと声をかけられた。作業服を着ているだけでも被災者に期待されていることが分った。熱くなった自分をはっきり覚えている。地震前までは建設業は汚い仕事、又競争厳しく赤字もたびたびで重要な仕事である事を忘れかけていた。憤慨することもあった。隣の神戸の災害を大阪の一部では他人事のような感覚で話題になっていた事もあった。毎年1月17日は自分で撮った被災写真を見ている。どんな仕事でもその仕事に対する情熱、誇りを無くしては満足感は無く、今の時代を生き抜く事も出来ないと思っている。自宅近くの寺に掲示してあった。「人は理想、目標を失ってから老いて行く」と、私も同感である。

(2006.2.21[Tue])

 

取締役 高橋 文弘
昭和53年ごろのこと、日常営業で訪問をしていたある官庁の出先機関で、所長から「この本は、貴社が発行したものであるか」と
尋ねられ見たのが、-西郷南洲翁遺訓-という小冊子であった。
所長は、この本を発行した貴社の社長(初代 髙藤国太郎社長)に是非会いたいとのこと、数日後社長に随行して所長を訪問した。
名刺交換が済むと髙藤社長より「所長は鹿児島のご出身ですか。」と尋ねたところ、「そのとおりです。私は子供のころから
南洲翁の話を聞かされながら育ち、今でも翁を敬愛しています。」と応えられ、その後かなりの時を南洲翁談義に花咲かせたのである。
帰路の車中でなぜサカモト所長が鹿児島の出身と思われたのかを社長に尋ねると、「名刺には坂元とあり、坂本ではなかった。
鹿児島地方ではモトを本より元と表すことが多いので、尋ねてみたのだ。」とのことであった。
私は、数ヶ月前に坂元所長が赴任されたときに名刺交換をしていたが、坂本ではなく坂元だと名前を記憶しただけであったが、
社長は同じ名前を見て会話の糸口を見つけていたわけである。同じころ、某スーパーゼネコンOBの濱口氏が入社され、ある時、京都郡内の幼稚園の改築工事について、指名参加のお願いに同行
したときのことである。
門をくぐって幼稚園に着き、園長に挨拶を済ませ着席をするとすぐに濱口氏が切り出し、「今、門を入ってくるときに大変すばらしい墨跡の銘板が目に付きましたが、あれは園長先生が書かれたのでしょうか。」と尋ねると、「拙い字ですが、私が書いたものです。」と応えられ、その後書道の話題を中心に会話が弾み、すっかり打ち解けた雰囲気の中で,訪問の趣旨説明とお願いが円滑に運んだのである。私も同じ銘板を見たが単に名称を確認しただけで、それが初対面の方の警戒心を解き親密な会話を生み出す題材になるとは、思いも付かなかったのである。
以上の二件は、自分の勉強不足、経験不足を痛感させられ、大変なカルチャーショックを受けた約30年前の一幕であるが、今では後輩社員との懇談の機会に-気配り・目配り-の話題になると、引用させて頂く貴重な逸話である。

(2006.2.20[Mon])

 

調査役 大崎秀一
私が入社したのは昭和44年、高度成長期でした,会社は活気にあふれ先輩たちは自信に満ち仕事をしていた事が思い出されます
私は希望していた設計に配属され、仕事は忙しく大変でしたが毎日が楽しく常に新しいことへの挑戦でした,そのうち後輩も入り責任も重くなり苦労の連続でしたが上司や先輩方の助けでこれらを乗り越えることが出来、そして設計した建物が完成し竣工式でお客様から喜んでいただいた時は達成感で胸が熱くなったことを覚えています,このように仕事が出来たのも先輩方が築いてくださったブランドがあったからこそです、今,私は会社と同じ年を迎えようとしています振り返って私が残してきたものは何か,少しでも役に立てたのかなと思い返しています、ブランドを維持していく事は大変な努力が必要です,その時々で悔いのないよう努力して行き、
ラストランを頑張っていきたいと思っています

(2006.2.19[Sun])

 

監査役 松中 宣夫
 我が社60年の歴史の中、戦後辛酸のなかでものづくりをし、社の発展を支えた先人の苦難、その延長線上に今の我が社があること、その中で培われた「誠意と信頼」が企業風土として育まれたこと、またその歴史の一端に我が身をおけた事に何か僥倖の感を覚えます。
我が社を取り巻く環境は、今迄物の豊かさを追い求め、心の部分がおろそかにされてきた反動か、最近の一連の事故やトラブル続きは異常なことです。社会規範、職業倫理が希薄になっているからではないでしょうか。仕事や社会生活の規範は多分極めて常識ばかりのはずです。
しかし自分が常識と思っていても、はたから見たら非常識極まりないことかもしれません。
自分自身、倫理観の骨格になるものは意識しないまでも潜在的に躾けられた日本的こころ、学生の頃読んだ「菊と刀」「武士道」とか「葉隠聞書」などにあるように、ここには「仁、義、礼、智、信」の五常と九つの徳目、恥、自律自省の精神が基にあると思います。
仕事の取り組みにしても「葉隠聞書」にー大雨の箴ーという佳話があります。そこには「途中にて俄雨にあいて、濡れじとて道を急ぎ走り軒下などを通りても濡るる事は替らざるなり。初めより思いはまりて濡るるとき、心に苦しみなく濡るる事は同じ。これ萬づにわたる心得なり。」 はじめから濡れるものだと得心していれば、濡れたとしても何ら苦にはならない。これはすべてに共通する心得だと思います。
この仕事は人に頼まれたから、あるいは与えられたからやるということではなく「こんなにつらい仕事を」と不満を言う前に、自分でやる以上はどこまでも自分の仕事だと前向きに楽しくて止められないという位の打ち込みが肝要です。またすべてがきれいな仕事とは限りません。道義に悖ることはないか、仕事で悩み苦しむからこそ人間的に成長があります、これが仕事のやりがいだと思います。
「務には,初めに信をおき,央には楽しみをおき,終りには喜びをおく。」

(2006.2.18[Sat])

 

建設部長 林 年数
現在の本社は私が入社する前年の5月に旧本社から移ったという事で、私達昭和44年入社組が初の現本社で入社試験を受け、入社した第1期生です。
独身寮は、旧本社2階の本町寮と松原工場の一角の松原寮の2ヶ所にあり、本町寮は古参の寮生で松原寮は若手の寮生が入寮していました。  松原寮の風呂は松原木材加工工場の木片と石炭で沸かした五右衛門風呂で隣の社宅の方々と共同浴槽でした。
食堂は本町寮にあり、当時は自家用車を所有している人は無く、毎朝6時過ぎに、本町寮まで路面電車2駅分を乗って通うか、トコトコ20~30分歩いて行き、朝めしを食べ弁当を持ってバスか電車で現場に通っていたことを懐かしく思います。
私が入社した時期は新入社員も毎年10数名採用されていて、4~5年で小規模な現場を任されていたので、我々新入生は1~3年先輩の後を付いて回って仕事の基本や先輩から受け継がれた髙藤建設の誠心を教わってきました。
現場一筋37年、数多くの顧客や担当者の方々と接し、それぞれの立場になって物事を考える事や、先輩から教わった「何事も誠意をもって接し信頼される事」をこれからも後輩と共に継承していきたい。

(2006.2.17[Fri])

 

建設部長 吉浦 隆市
入社して33年。
この間35件の新築工事に携わってきました。
33年間の中で特に印象深い工事は、新門司の阪九フェリーターミナルです。
数十億の工事を設計施工の特命でいただけたのも、施主との信頼関係があってのことだと強く感じました。
この信頼に応える為に工期内に完成させることが、私たちの責務だと思いました。
このように信頼して頂く施主が居て下さる事が我が社の財産だと思います。
この財産は、諸先輩の努力の賜物と考え大切にし、我が社の存続に努力したいと思います。

(2006.2.16[Thu])

 

CS事業部長 奈須那定
私は昭和41年3月10日に入社しまいた、あれから40年早いものです、 入社時に電気部電気課に配属され、次に昭和46年6月に技術部設備課に 配属、 昭和61年5月に大阪支店設備課転勤になり、歴史に残る悲惨な阪神淡路大震災も経験しました。 時代は平成になり、平成8年1月に本社に配属になり平成13年には現在所属のCS事業部に配属になりました。 今までに、色々な部や課を経験してきましたが、その経験と諸先輩方の アドバイスが今なって,とても役だっています。 これからも、入社当時から思い続けている、お客様からの、信頼、信用を得て、喜んでいただける 仕事をする様、CS事業部の一員として、 頑張って行きたいと思います。

(2006.2.15[Wed])

 

購買部長 三野 紘一
私と髙藤建設との係わりは 父善吉が昭和32年入社なので
私が10歳からで 我家の生活基盤は会社の存在と会社の発展でした。
父は22年間勤め定年退職し、義兄落田は途中病死であるが35年間勤務し
そして私は今年で38年間会社にお世話になり大変感謝しています。
与えられた仕事に毎日ベストを尽くしているだろうか?
会社の為に役にたっているだろうか? と反省の毎日です。
60周年の歴史の中で微かに足跡を残していると思っていますが
100周年を迎えられる企業になるため私に何ができるかを考え
精一杯気張って会社の成長に寄与したい思っています。

(2006.2.14[Tue])

 

営業部長 清水 敏己
第一次オイルショックの起きた昭和48年に入社し
18人の同窓生も現在では4人に減り
私自身、会社に貢献できるのは残り数年という環境にあります
60周年を迎え想うことは、これからも周年事業を重ねて100周年・200周年を迎えるためには何が大切かということです
温故知新・創業の原点よく口にされる言葉ですが
構造不況業種といわれている建設業において倒産しないためにはどうするか、
ある論文によると企業倒産について創業者の経営ほど倒産しやすく後継者経営のほうが倒産しにくいと書いてあります、創業者は社会的地位のない時に組織作りをしようと財務的に無理をするためと論じてありました、財務的に考えれば、自己資本比率、当座比率が高く(安全性が高く)、売上げが伸びていて(成長性も高く)、借入依存度が低い、経常収支比率が高いなど資金繰りの良好な企業ほど、倒産しにくいはずです、しかしながら状況は、年々悪くなっています
高藤建設の優位性はどこにあるか、誠意か、技術力か、職員の情熱か、地域社会密着か、早く見つけ強化して
生き残れる企業にするための序盤を築くことに全力を傾けて行きたいと思っています

(2006.2.13[Mon])

 

管理部長 萬田 恵一
当社60年の歴史のうち、約20年間、会社に係わらさせて頂きました。
私が入社した昭和62年頃は、今のように不況と呼ばれ、企業に電算化が普及し始め、タイプからワープロに取って代わり始めた頃でした。そんな中、当社に縁あって採用していただきました。この20年間は私にとって転勤、結婚、そして子どもの誕生と人生の大きな転機でもありました。当社に多くの方々が携わり、携わった方々のいろんな人生がこの60年の歴史の中にあるような気がしています。私もご縁のあった我が社に少しでも貢献できる様に、過去の諸先輩方が築いてこられました伝統をこれからも継承しつつ、新たな伝統を築いていかなければならないと思っております。

(2006.2.12[Sun])

 

福岡支店部長 小林 正弘
創立60周年おめでとうございます。
昭和46年に入社して、あっという間の35年です。入社1年目で福岡営業所(現福岡支店)に配属になり、以来福岡で35年勤務させていただいております。
現場一筋で35年ですが、多くのお施主様に出逢い、教えを頂き、又諸先輩や協力業者に仕事上でのアドバイスと仕事で受けた恩は数えきれない程あります。
人は財産だと申しますが、これからも人と人の信頼を大切にし、高藤建設の発展の一翼になれるように頑張って生きたいと思います。

(2006.2.11[Sat])

 

福岡支店部長 池田秀樹
入社して34年、大阪、徳山、現在福岡支店とお世話になりました。今日の自分が有るのはその時々にご指導いただいた方々によるものだと思います。入社時のオイルショック、バブル、そしてバブル崩壊と経験してきました、その時々に大きな波に砕かれそうに成りながらも跳ね返した力は諸先輩方が築かれた土台が有ったからこそ今日があるのではと感謝しています。
今この構造改革の大きな波に立ち向かい我々社員が一丸となり伝統を受け継、新しい力を発揮し社風を築いて行こうと思います。

(2006.2.10[Fri])

 

CS事業部副部長兼務徳山支店長 吉井 寛
昭和46年入社の団塊の世代、あっと言う間の35年間でした。
先人達の偉大さを感じる昨今です.
環境の変化の激しい時代、常に「スピード」を意識して、仕事に
取組んで行く所存です.

(2006.2.9[Thu])

 

品質管理室長 二階堂 茂
地域の発展に貢献し,未来を担う子供たちの文化施設等つくり続けて60年周りを見回せば我社の歴史は確実に残っています。
顧客からの信頼を宝とし,顧客が安心して付合える企業として存続し
地域と我社の発展に努力して参りたいと思います。

(2006.2.8[Wed])

 

CS事業部次長 河野真一
本社新社屋落成の年昭和43年に入社いたしました。
入社当時仮設足場は、まだ丸太材でコンクリート打設もほとんどが人力
でした。現場を担当する先輩たちは、現場事務所に寝泊りをし昼間は、
現場管理夜は遅くまで施工図や事務整理とより良い建物を一日でも早く、お客さまにお渡し出来るようにと昼夜を惜しまず頑張っていました。そんな先輩方々のおかげで今があるのだと思います。
先輩の方々たが、築いて来たわが社の信頼と信用また大事ななお客様を
、大切にこれからも受け継ぎ会社の発展に努めたいと思います。

(2006.2.7[Tue])

 

CS事業部次長 田中 弘
60といえば、人生では還暦、60の手習い。
その時が私にも来年来ます、私が入社の時はバブルの真っ只中。
60の手習いのごとく、悔いの無いよう日々を送たいと思っています。

(2006.2.6[Mon])

 

建設部次長 丹羽 義忠
早いもので昭和46年当社にお世話になり35年になります。
髙藤建設株式会社60年の歴史の中で35年 私もわが社と共に歩んで
来たのかと実感がわいてきました。
髙藤建設の歴史は毎日の仕事の中でも実感できます。 たとえば
監督や役所の検査時「やっぱり高藤さん」 「高藤さんともあろうものが」とか良きにつけ、悪しきにつけ、名前が出ます。
これもひとえに先人の築きあげてきた実績のおかげと感銘しています。今後も諸先輩の歴史を守り更なる髙藤建設の発展の一翼となれるよう努力して行きたいと思います。

(2006.2.5[Sun])

 

大阪支店 長尾 寛人
創立60周年、私が生まれた約半年後に設立されたことになる。
大阪支店に勤務して早くも36年が過ぎ人生の半分以上を大阪で迎え第二の故郷ができた。
“私変わります”を宣言して、これからも都会の利便性を生かして地域との絆を深め、過去の歴史に学び社会に貢献できればと考えている。

(2006.2.4[Sat])

 

大阪支店次長 副島 博
創立60周年おめでとうございます。期待、希望を抱き入社して早、39年経過した我輩であります。今般建設業に吹き荒れている経済情勢下にあって、取り沙汰されてるアスベスト問題、談合問題、確認申請書の偽造問題等々の発覚による憂い々しい事態ばかりが現状である。その中で社会、企業、家庭での自分のおかれてる立場、存在は如何なものであるかと、この機会に疑心暗儀的な物事で考えても良いかも知れないと思っているのである。改革、変革が進み管理(自由)社会での一層の責任、モラル、品格が要求されるのであるから一人一人がポリシィーを持ち又、状況及び環境に臨機応変に適切対応できる様、日頃からの行動が大事であると思います。

(2006.2.3[Fri])

 

大阪支店次長 秋永 孝博
当社はバブル崩壊後急激な業績悪化に伴い、工事量が激減し苦難の道をたどっています。最近の世の中の変化は非常に早く一年で企業を取り巻く環境がガラリと変わります。今大きく、強く吹いている逆風に負けないで乗り切らなければなりません。そのためには各自が色々な問題に正面から取り組み成果を実現させることだと思います。

(2006.2.2[Thu])

 

大阪支店次長 宮崎 和一
創立60周年を迎えて、改めて諸先輩方のご苦労に、感謝致したいと思います。先人の築かれた基盤を、損なうことなく、新たな
再出発に向けて、尽力したいと思います。
今般の建築業界は、最悪の状態であると認識しています。
日頃の業務である「安全管理・工程管理・品質管理・原価管理」と、もう一度原点に帰り、推進していきます。又、職人不足、
社員の高齢化、各個人の健康管理に対しても、歯止めが必要で
あると、感じます。
「個人個人の変革無くして我が社の再生は成らず」を肝に命じて
業務に励みたいと思います。

(2006.2.1[Wed])

 

福岡支店次長 川上 剛
建築部からCS事業部へと移籍し、色々なお客様と接する機会が多くなり
ありがたい毎日です。働ける時間の方が少なくなってきましたが、今までもお客様、これからもお客様と、感謝の気持ちを常に忘れず,先代の
教えのとおり正道を歩んで更に顧客満足度の向上に努めて参りたいと思います。

(2006.1.31[Tue])

 

福岡支店次長 松田壽彦
顧客という宝「60年」文字にするとあまりピンときませんが、私の年齢は今年50歳、入社して26年目と我が身に置き換えてみると、60年と言う時の長さを感じます。特に営業に来て4年目、顧客という宝の発掘そして技術と共に磨きをかけると言う、顧客満足活動の難しさをしみじみ感じる次第です。これまで築かれた諸先輩方の宝を大切に守り、磨きをかけると共に新たな宝の発掘に微力ではありますが力を注ぎたいと思います。

(2006.1.30[Mon])

 

CS事業部課長 橋本順次
大変な努力を先人達、先輩、上司達が築いて下さったおかげで、高藤ブランドが、根付いていると思います。
自分が入社して今日まで仕事をさせて頂いたうえで、痛切に感謝しています。
会社の名前に恥じぬように、微力ではあるが、これからも努力して
頑張りたいと思います。ヨ-ソロ、ご安全に!

(2006.1.29[Sun])

 

CS事業部 矢野恒徳
40数年間、現場一筋で私のモット-は、為に生きる事、何事も即実行で早く対応し皆様によろこんで頂く事です。

(2006.1.28[Sat])

 

購買部課長 鶴田鉄男
60年間の礎のもと更なる発展のために、
部門間で縦割りにならず相互支援や
フィードバックが活発におこなわれることによって、
知恵とデータを蓄積し有効に活用する
活発な組織体であれ。私もその健全な一細胞でありたい。

(2006.1.27[Fri])

 

購買部課長 田山幸聖
創立60周年の節目の年.創立以来の精神を持って
初心にかえり社業の発展の為頑張りたいと思っています

(2006.1.26[Thu])

 

CS事業部 篠原征男
入社以来今日迄いろんな現場を回想して、語れば長く成ります。印象にあるものと言えば、長住団地.折戸口団地で、2現場共スタッフが8~10名の大世帯で、苦労も、おもしろみ有り、なんでもありであった。その頃は若かった何にも怖くなかった様である。あれから40数年今は、パソコンに振り回されている。此処で面白い話を、1年生時に長住団地(公団のアパート3棟)の現場で、その当時は大型工事でした2日半徹夜もしました。この時代は、毎日出面をチェックし記録していました。100人弱の作業者の中で、大工の出面をとる中で、“大工さん名前は?”「俺は大工や」“それはわかっている名前よ”「だから大工や」との繰り返しで、事務所に戻り所長に伝え、呼べと言う事で呼びましたが、免許証見せられ本当に大工さんでした。もう1人雑役工のおばさんに、“名字は?”「芳野です」“下の名前は”「ヨシノです」芳野は聞いたから下の名前よと言えば、あのね兄ちゃん私は柴田ヨシノから嫁に行って芳野ヨシノになりましたとあり、なるほどこんな事もあるのかと、ウソの様な本当の話である。
残り少ないが“前人樹を植えれば後人涼を得るを忘れずに”

(2006.1.25[Wed])

 

管理部課長 横山信之
昭和63年入社以来,不思議と転勤もなく本社勤務が18年間になりました。
入社当時はパソコンも普及しておらず,手書きの書類がやたらに多く,
今では考えられないほど時間を割かれた事を思い出します。
18年間事務部門一筋で,直接建設部門には携わっておりませんが,家族で外出した折に弊社建設物件がありますと「これはお父さんの会社が建てたんだよ」と自慢出来ることを誇りに思っています。
この度,創業以来会社に携わってきた方々のお陰で,60周年を迎えることが出来ました。
これからも「お客様に信頼される会社」づくりのために役立ちたいと思います。

(2006.1.24[Tue])

 

営業部課長 豊島和司
15年前、髙藤建設に入社が決まった時、『あなたは、いつも無愛想だから、この本でも読んで少しは人に好かれるように勉強しなさい』と女房が1冊の本をくれました。久々に本棚の片隅にあった、その本を開けてみました。その中に「人に好かれる6原則」というものがのっています、その6原則を今の自分と照らし合せてみました。
【原則1】誠実な関心を寄せる。
犬は人間にとって無二の友といいます。それは、飼主に忠誠を尽くすからといわれるからです私は会社にとっては誠実なつもりですが女房にとっては犬以下かも?
【原則2】笑顔で接する。
女房がいつも言います『あなたの顔は「にやけた顔」だと、良い言葉でいえば憎めない顔、悪い言葉で言えば間が抜けている』
【原則3】名前は、当人にとって、最も快い、最も大切なひびきを持つことばであることを忘れない。
女房は私を呼捨てにしますそれを聞いた子供も呼捨てにします。
名前を覚えてもらえるって本当に気持ちの良いものなのかな?
【原則4】聞き手にまわる。
私にとって聞き役は得意です。いつも、女房の小言を耳にタコ出来るくらい聞かされていますから。
【原則5】相手の関心を見ぬいて話題にする。
私はすぐに顔色に出ます。相手を見ぬくより、すぐに見透かされます。女房からカマを掛けられるとすぐボロを出してしまいます。修行が足りないといつも反省するばかりです。
【原則6】重要感を与える~誠意をこめて。
人と話しをする時は、その人自身のことを話題にすれば、相手はこちらの話しを聞いてくれる。
私はいつも話題にされます。チョンボのとよしまって!
私にとって6原則はあまり効果が無い様ですね。でも、人に好かれることは悪い気がしません。若い人、同僚、先輩の方々、もちろん、お客様に好かれる事が最高の気分だと、60周年を迎えた節目に当り、6原則を改めて思いだしては反省をしています。
デール・カーネギー著書「How to Win Friends and Influence People」より

(2006.1.23[Mon])

 

営業部課長 斎藤正博
戦後動乱期のスタートは創造を絶する困難との挑戦の繰り返しだったようです。今年60周年を迎えられたのも、全社員が夢と希望を胸に強い絆のもと、日々の努力の積み重ねがあったからに他ならないでしょう。
今、私が60周年によせる想い。
「原点は感謝!
新たな目標に向かって未来の創造を!」創立記念の営みが永遠(とこしえ)に続くことを願って。

(2006.1.22[Sun])

 

営業部課長 古賀久智
入社当時の22年前を振返りますと、我社のキャッチフレーズだった「誠意と技術で奉仕する」が印象深く想いだされます。若輩の私には何故、奉仕なのか?営利企業なのにと理解出来ませんでした。それが建築部でもまれるうち建設をつうじて建物を愛する気持ちが芽生えました。その頃からじわり、じわりと「奉仕の気持ちが」私にも宿ったのを思いだします。大勢の先輩から継承されたこの奉仕の気持ちが、多数の方々から「信頼」を頂いているのではないかと感じます。
建設業界をとりまく状況は増々厳しく、変革しない企業は淘汰される昨今。そして構造計算偽装に不正改造と世間の風は厳しいが、髙藤魂「奉仕」を胸に全社一丸、髙藤丸の新たな船出です。
おめでとうございます。

(2006.1.21[Sat])

 

CS事業部課長 野口英之
私は昭和46年3月10日に入社し、早いものであれから35年の月日が
たちました。入社時には設計課に配属され、忙しくて残業日々
でしたが、大変勉強になりました。そして自分の設計した建物が
残っていく事に喜びを感じました。
現在は、CS事業部に籍を置き、雑少工事、改修工事等色々な仕事に携わっています。これからも自分の為、施主様の為仕事を通て
誠意と技術を念頭にがんばりたいと思います。

(2006.1.20[Fri])

 

建設部工事長 吉原幸也
当社の60周年という、輝かしい節目を会社と共に迎えることができた事を感謝します。
これからも、縁を大切に多くの人々に喜んで頂き自らが喜びを、感動を味わえる様、邁進して行きたい思います。

(2006.1.19[Thu])

 

大阪支店課長 森本要一
 昨年、10年来小中学校のPTAや地域の役員を一緒にやってきた、ソフトボールのチームメイトでもあり、「生涯の飲み友達」でもある彼から「モリモッちゃんのところ、高藤で家を建替えてくれないか」と言われ、彼が数年前に譲り受けた土地を有効に活用できる様、収益マンションと、大家族がゆったりと安心して住め、天神祭りの花火を楽しめる居宅を計画しています。
60周年を迎える今、業界は諸問題を抱え、世間を騒がせているこの時期に、仕事を通じて、友人の夢と事業の実現のお手伝いが出来ることを感謝し、その信頼に十分応えなくてはならないと思っています。

(2006.1.18[Wed])

 

大阪支店工事長 渕秀次
昭和47年入社して34年勤続させていただきました。会社は創業60周年と言うことで、その半分以上をお客様と社員の皆様と一緒に仕事が出来た事を、大変有難く思います。        これからも永年継続に向けて、お客様の気持ちにたった考え方をし、そしてその仕事が出来、お客様の喜びを自分の喜びとすると言うことを目指して頑張って行けたら個人、会社共に継続、伸びて行けるのではないでしょうか。

(2006.1.17[Tue])

 

福岡支店課長 中川誠
創立60周年を迎えて 私は昭和48年3月入社(18名入社)現在は4名各部門でみんな頑張っています。入社して本社23年、大阪支店8年、現在福岡支店3年目です。いろんな地域でのお客様、業者様、社員の皆様とのいろいろな出会いによって成長させて頂きました。これからも、人と人との出会いを大切に頑張ってまだまだ成長していきたいと思います。

(2006.1.16[Mon])

 

福岡支店工事長 中武享一
60周年おめでとうございます
これまで幾多の新築工事に携わってきました。
其のたびに、起工式、竣工式を積み重ねて数多くのお客様と接してきました、家やビルを建てるのは施主にとっては一生一度の大仕事、会社にとつては一代事業そんな人生や社運の掛かった仕事に従事できる事を
天職と肝に銘じています。
これからもお客様に感動、満足いただける建物作りをとおして高藤の銘をもっと多くの人に知ってもらい我社の発展の歯車の一つとして回ります。

(2006.1.15[Sun])

 

福岡支店課長 秋吉幸二
勤続十年目、藤友で『進取の精神で』、二十年目『自ら夢を膨らませて精進』と書いた.
創業60周年、勤続25年目の今、私もおかげさまでおかげさまがわかってきました。

(2006.1.14[Sat])

 

徳山支店課長 中村和久
私が始めて門司の地に立つて18年まだ未熟な私も多くの諸先輩の指導により一回り大きくなったと思います.今は徳山支店にて現場管理となかなか馴れない営業常務等を行っています.今後は地域の皆様に真心と熱意をもって信頼していただけるよう努力したいとおもいます。

(2006.1.13[Fri])

 

大阪支店係長 阿部武美
全てに感謝いたします。継続は力なりの実践。

(2006.1.12[Thu])

 

管理部係長 中島信介
 創立60周年、この記念すべき節目の年に、勤続30年の表彰をいただけることを光栄に思いますとともに、こうゆう機会を与えてくださった多くの先人の方たちのご苦労に、敬意を払い感謝申し上げます。
私が入社しました頃のオフコンは、まだカタカナしか出力できず、プログラムも紙テープに穴を開けてつくっていました。
それが今ではパソコンは1人に1台の時代となり、フルカラーで美しい絵を描き、その場で世界中の情報を瞬時に手に入れることが可能になりました。IT関連のみならず、今、世界中が大きな変革のときを迎えています。正確、真面目な目で、この変革の波を把握し、適切に、誠意をもって対処し、良いものは積極的に活用できるよう心がけて、より豊かな70周年、80・・・を迎えたいものです。

(2006.1.11[Wed])

 

建設部係長 江木一雄
私が入社した平成2年は、バブル経済の絶頂にありました。
それから現在に至るまで早16年。 景気の移り変わりの激しさ速さを目の当たりにしてきました。 当社が創業して60、年幾多の荒波に立ち向かってきた諸先輩を見習い今後の当社の発展に貢献していきたいと思います。

(2006.1.10[Tue])

 

CS事業部係長 松尾倫
髙藤建設も人間で言う還暦を迎えられましたが、わたしは、第二の人生でなく、新入社員の時のようにフレッシュな気持ちで、お客様に接して行きたいと思います。

(2006.1.9[Mon])

 

建設部係長 戸田茂
私は、昭和57年入社,今年で24年目になります
入社当時は、施工図を描くのに使っていたT定規が、今はパソコンに変わっても、建築現場は、職人さんの腕や技量で仕上がりが左右される事には変わりは有りません。
時代が変わり、道具や世代が変わっても社会に信頼、信用されない会社は、生き残れません。
創立当時から60年、今日まで諸先輩方が築いてくださった社会的信用、信頼を落とすことなく、よりいっそうの信頼、信用を得られるよう、又後輩ににつなげていけるよう努力しなければと思います。

(2006.1.8[Sun])

 

大阪支店係長 井内茂生
(2006.1.7[Sat])

 

大阪支店係長 内田俊文
入社30年を迎える。振り返れば、沢山の人との出会い、沢山の経験をさせて貰った。今でも1月17日が近ずくと思い出す、阪神淡路大震災での体験。ポートアイランドは、50~100cmの地盤沈下、大手スーパーの商品を約束期日に出す為、砕石を岡山より船で運ぶ計画が1日ずれ込み、施主側荷役と重なったが、優先して頂き完了、翌朝の出荷に間に合った。
焼け野原になった長田の住民に元気を送ろうと修復・開店に努力し、協力してくれた食品店のスタッフの方々。
[お客様][当社][協力会社][職方]皆が、【協調】した結果だと思う。
どうかすると、私たちの立場は、監督さんと呼ばれ「お山の大将」に成りがち。
私はこれからも、【協調】という言葉を大切にし、業務に取組んでいこうと思います。

(2006.1.6[Fri])

 

大阪支店係長 金子俊文
 入社後30年が経ち、60周年の半分(後半)を過ごしてきました。本社に約5ヶ月、残りを大阪支店で業務を行っています。現場管理から内勤に変わり2年弱、立場が変わり、視点が変わり近年の世情と同じく変化が大きかったように想われます。
現場管理が一段と質、量とも厳しくなってきています、微力ながら支援が出来る様、努力、協力。

(2006.1.5[Thu])

 

大阪支店係長 古川英樹
60年もの長い歴史を刻んで現在に至っているなかで、
私自身が共に歩ませて頂いたのは、昭和から平成に
変わってからのおよそ4分の1程度。
様々な知識や経験などを頂くことができ、大変感謝しています。
お客様や協力業者様、それまでを築いてこられた諸先輩方の
功績があってこそのことです。
人生でいう「還暦」にあたる今、再び生まれた年にかえって
前進していくことを期待します。

(2006.1.4[Wed])

 

大阪支店係長 古賀忠司
入社して15年今まで出会ったすべての人に感謝したいと思います。そしてこれから出会う人からもいろんな事を学ぼうと思っていいます。

(2006.1.3[Tue])

 

福岡支店係長 大谷好郎
入社以来、学生時代とは違った、さまざまな人と出会い、それぞれに、教えをうけました。大変感謝致しています。又同時に社会の大きな激流も経験いたしました。先代の社長がいっておられました「どんな時代であろうとも、人間がいる以上、建設がなくなることはない。建設業の未来に夢と希望をもって頑張ろう」という言葉は常に忘れることはありません。
高藤建設の誠意と技術で地域社会に奉仕するという姿勢は今も少しも変わっていません。これからも、地域社会の人々に信頼され,貢献できる企業で在り続けるよう頑張りたいと思います。

(2006.1.2[Mon])

 

福岡支店係長 髙藤章雄
転職させて頂き間もなく1年になります。
この1年の間に、口を揃えた様に、地道・堅実・誠実である
事の重要性を説かれて参りました。
60年の当社の歴史の一面を、そういった会話の中からも
感じております。
未だ1現場目の経験の最中ですが物造りに携わる、楽しさや責任、
を皆様に教わり、社会の一員として、必要となる姿勢を目下建設中です。
感謝の念、受け継がれたものを忘れず大事にし、併せて新しい事への挑戦を今年の個人目標として、邁進していく所存です。

(2006.1.1[Sun])

 

徳山支店係長 宮本和宣
 創立60周年を迎えるにあたり、お客様、礎を築かれた先輩、これから未来有る後輩、又、自分自身のために、髙藤建設は永久に不滅ですと、言えるようおかげさまの気持ちを忘れず、ask not what your company can do for you, ask what you can do for companyの精神で、愚直に職責を全うして行きたい。

(2005.12.31[Sat])

 

建設部主任 田中満弘
私が入社し13年、60年の歴史を考えるとまだまだ・・・。
創立60周年の歴史を感じながら、過去の60年よりもこれからの
60年をしっかり見据えて、これからも頑張っていきたいと思う。

(2005.12.30[Fri])

 

建設部主任 高崎鐵志
創立60周年大変おめでとうございます。ふりかえつてみれば平成4年に入社して14年目になりました長い様で短く、短い様で長い歳月が過ぎ色々な建築、店舗、内装に担当させていただき大変勉強に成りました。在任中に輝かしい創立60周年が皆さんとお祝いできる事が出来てうれしく思います。現在新門司倉庫に配属され初心者マークの私ですが皆さんの協力でがんばつて行きます。

(2005.12.29[Thu])

 

建設部主任 和田宣明
 平成8年に入社して10年になります。
この10年間に社会的にも様々な変貌を遂げ日々進化しています
携帯電話や、地上波、インターネットなど、など・・・
また、景気の変動も大きく、バブル時代からバブル崩壊・・・
私が直面したのは、ほんの6分の1程に過ぎませんが、高度成長期時代から長期にわたり諸先輩方が培った歴史は、知恵と努力そして愛社精神の賜物だと思います。
これからもこのすばらしい歴史を礎に、変貌に屈することなく、新たな歴史を刻んでいくことが私たちの使命だと思っています。

(2005.12.28[Wed])

 

建設部主任 竹下隆弘
平成元年に入社し新社会人になりました
先輩方のご指導により、社会の規律や仕事・会社・人とは何か、
様々な事も学ばせて頂き、又関係した物件を目前にし、
色々な思いをその場で振り返る事の出来る仕事に、
従事させて頂き感謝しています
これからも会社に社会に貢献できるよう頑張りたいと思います。

(2005.12.27[Tue])

 

建設部主任 野田剛
『現場施工管理』が何をするかわからず入社し、いつの間にか
14年たってしまいました。ある程度業務の内容もわかってきた
つもりですが、まだまだ先輩方の様に上手く仕事が進められません。年を追うごとに、諸先輩方の偉大さを痛感します。
『人生一生勉強』の気持ちを忘れずに、より一層精進し、
少しでも先輩方に近づける様に努力していきます。

(2005.12.25[Sun])

 

建設部主任 師井健司
私は平成3年に高藤建設に入社いたしました。
入社以来、諸先輩方の暖かいご指導により今日を迎えています
早く諸先輩方のように的確な仕事が出来るように「毎日が勉強」
を目標に頑張りたいと思います。
60周年を迎えて高藤建設の社員として誇りを持って仕事をして行きたいと思います。

(2005.12.24[Sat])

 

管理部主任 大江邦彦
平成8年に入社し、今年で10年が経ちます。
この間 転勤などもあり、多くの人と出会い、さまざまな勉強をさせていただきました。
徳山支店での5年間は、私にとって仕事はもちろん、それ以外でも大きく成長させてくれた日々でした。
これからも 諸先輩方の思いを胸に、初心を忘れず、柔軟な発想と強い意思で、会社に貢献できるように努力していきたいと思います。

(2005.12.23[Fri])

 

営業部主任 上原和彦
創立60年の間の10数年、私は髙藤建設の歯車の一つとして、頑張らなければいけなかったが、振り返れば、歯車に噛み合わず、狂わせてばかりだったと反省しています。
これからは、会社の発展はもとより、自分自身の人生の歯車を狂わせないように、毎日潤滑油(熱意)を注いで頑張っていきます。

(2005.12.22[Thu])

 

購買部主任 今井雅人
諸先輩方の技術力という大きな礎があるからこそ
今日までの高藤建設のたゆまぬ発展が有るのだと思う
これからも飛躍し続ける我社の為
社会のニーズに合わせた物ずくりが出来るよう
精進していく所存であります。

(2005.12.21[Wed])

 

CS事業部主任 宮原則行
創立60年記念の年に社員として在籍していることを光栄に   思います、これも諸先輩がたのがんばりが築き上げた歴史で  これからの歴史に微力ながら、頑張ります。

(2005.12.20[Tue])

 

事務センター主任 座木恵子
今日ここに髙藤建設があるのは先輩方の地道な努力のおかげだと
思います。この誇りある60年の歴史や文化に恥じない社員・
社会人でありたいと思っています。

(2005.12.19[Mon])

 

大阪支店主任 杉直哉
創立60周年を入社13年目に迎える事となりました。先輩方に比べればまだまだ未熟な私ですが、今後会社を支える一人となれる様努力して行きたいと思います。

(2005.12.18[Sun])

 

大阪支店主任 鳥上勝則
創立60周年を迎えて、改めて諸先輩方のご苦労に感謝致します。 12周年を迎えてやっと微力ながら貢献出来るようになったかな
と思います。これからも日々の挑戦、努力を怠たらず会社に貢献
出来るよう頑張ります。

(2005.12.17[Sat])

 

福岡支店主任 大神勝
昭和62年に入社しまして現場に出ました。
何もわからない私にいろいろ指導してくだされた諸先輩方の
おかげで60周年をむかえれました。
これからも先輩方に負けないように努力いたします。

(2005.12.14[Wed])

 

福岡支店主任 柴田武士
創立から60年。その大きな素晴らしい歴史の中に一員としている事をとても誇りに思います。(素直に・反省・改める)3つの心でこれからを生きて行きたいです。

(2005.12.13[Tue])

 

福岡支店主任 安井徹
60周年を迎えて、私の想いは、今日に至るまでの先輩方の
努力と、こんにち当社にて素晴らしい上司・同僚に巡り合い
元気に働ける事に感謝し又、今後も初心を忘れず、人と人との
出会いを大切にしてがんばりたいと思います。

(2005.12.12[Mon])

 

福岡支店主任 富安聖
創立60周年。今日の高藤建設があるのも諸先輩方の努力あってこそ。諸先輩方に感謝。私にとっても入社10周年の節目の記念日。まだまだ未熟者ですが、これからの会社発展に貢献出来る様に日々努力していきたいと思います。

(2005.12.11[Sun])

 

福岡支店主任 千々和幸輔
創立60周年を迎えられたのは先輩方の努力の積み重ねがあったからこそ、私が高藤建設で仕事をさせていただけるのも先輩方のおかげす。感謝の気持ちを忘れず、これから70周年、80周年と歴史を刻んでいく我社に少しでも役にたてるよう日々努力していきたいと思います。

(2005.12.10[Sat])

 

建設部主任 濱島隆二
創立60周年を迎えその中で自分が入社して9年、会社に貢献できたと思えるのはまだほんのわずかです。
その間、正直かなりきつい事もありましたがその分やりがいもあり今ではこの仕事に誇りを持つ事ができました。
これから先も年を重ねるごとに、先輩、友人、家族などから多くを学び、初心を忘れず、自分らしく、仲間と力を合わせて少しずつでも会社に貢献し、共に成長していきたいと思います。

(2005.12.9[Fri])

 

建設部主任 平湯信志
創立60周年を迎えるにあたり、私の人生の2倍を生き抜いてきた会社、それを築き上げてきた諸先輩方のがんばりに驚くばかりです。
私も入社11年目を迎えます。 まだまだ未熟ですが今後90年・100年と会社が発展できるようがんばって行きたいと思います。

(2005.12.8[Thu])

 

建設部主任 久田貴文
今までの先輩方の努力と信頼の積み重ねで、創立60周年を迎えられたと思います。私も髙藤建設に入社して8年になりますが、
まだまだ未熟者です。この会社の信頼、品質を少しでも向上出来るよう頑張りたいと思います。

(2005.12.7[Wed])

 

建設部主任 野坂昌志
私が入社してから8年が経ちました。自分自身が8年間の間にいかに会社の為に携わる事ができたか、高藤建設の60年と言う歴史に恥じぬ様、これから先の自分自身の向上に努め、更なる髙藤建設の歴史に参加して行きたいと思います。

(2005.12.6[Tue])

 

建設部主任 松瀬英克
創立60年。入社して8年、後30年勤務。
自分が退職する時期は創立90年を向かえます。
今年は立志・信頼・変革を目標に推進してますが、30年後の高藤建設 創立90年を想像すると今というこの時期1日1日を大切に志を持って推進していかなけれならぬと思います。創立90年に向かって前進します。

(2005.12.5[Mon])

 

建設部主任 佐々木和也
『創立60周年』。入社してまだ10年にも満たない私ですが、
今まで諸先輩方が築き上げてこられた、技術・信頼・情熱は、
身をもって感じております。まだまだ新参者ですが、100周年・200周年を目指し、これからも我が社の発展・向上に努めていきます。

(2005.12.4[Sun])

 

営業部主任 加藤葉子
『ひとりはみんなのために
みんなはひとりのために』幼い頃、なにげに読んでいた小学校の石碑に刻まれていた言葉です。入社して14年の現在は??というと‥‥‥。
社内でも、どこでも、多くの方々に助けていただくばかりです。私自身、大きな実力はありませんが、
小さな実行を積み重ねていきたいと思います。

(2005.12.3[Sat])

 

建設部主任 中維哉
創立60周年という輝かしい節目を迎えられた反面、入社10年目という節目に私自身、諸先輩方の背中を懸命に追いかけた10年でした。
設備管理という仕事上、各現場を毎日移動しますが私が入社する以前に完成した建物を必ずと言っていいほど見かけます。創立60年の半分も
生きていない私にとって移動中に遭遇する当社施工の建物の数だけでも
創立60周年という重みを感じています。
又、当社施工建物のアフターサービスの際、お客様の『高藤さんに
任せる』という言葉も諸先輩方の築き上げた信頼の賜物だと思います。
今まで築き上げた宝を大切に、更なる会社の発展に貢献していきたい
と思います。

(2005.12.2[Fri])

 

大阪支店主任 中嶋正好
創立60周年おめでとうございます。
私が入社して今年で10年になり、人生の3分の1を本社、徳山、大阪と各地で勤務し、沢山の人とのふれあいを持ち、貴重な経験をさせていただきました。
高校を卒業してからの当時は図面も書類も手書きだったのが今ではパソコンとにらめっこ。たった10年でも時代の変化を体感します。それを思えば60年という年月は建設業全体でもかなりの変化があったのでしょう。
建物を造る技術者としても、1人の人間としてもまだまだ未熟ですがこれからも人との出会いと対話を大切にして、何事にもチャレンジする意欲を持ち、社会に貢献できる企業(信頼される企業)として存続する社員の一人として努力します。

(2005.12.1[Thu])

 

福岡支店主任 原田政男
創立60周年おめでとうございます。入社して13年が経ち、過去を振り返ればまだ13年、60年と言う諸先輩方が築き上げられた大きな歴史の中で一社員でいられた事に感謝の気持ちです。これからも、御客様に喜んでいただける会社であり、社員でいたいと思います。

(2005.11.30[Wed])

 

福岡支店主任 川原正喜
平成6年に入社させていただき12年。
入社当時は自分しか見えず、ただ突っ走っていましたが、諸先輩方の温かく、又厳しい指導のおかげで、ようやく自分の責務の重さを感じてきました。
創立60周年という、大切な節目を迎え、改めて諸先輩方の偉大さを感じます。これからも初心を忘れず「顧客満足」の精神で髙藤建設の歴史の1ページを築ける様、努力していきたいと思います。

(2005.11.29[Tue])

 

福岡支店主任 竹元一郎
創立60周年。
平成7年に入社以来、本社、福岡と勤務させて頂き、沢山の人と人の出会いをしてきました。創立から60年の間に諸先輩方も、想像出来ないぐらいの人との出会いし、その人の出会いを大切にしてこの会社を築きあげてきたのだと思います。私も微力ではあいますが、この出会いと人と人の繋がりを大切に歩み盛り上げ続けたいと思います。

(2005.11.28[Mon])

 

福岡支店主任 湯下憲二郎
まずは、「創立60周年」おめでとうございます。
私は入社して早や15年。髙藤建設㈱60年の歴史の中の1/4を過ごして参りました。バブル時代・バブル崩壊等を目の当たりにしてきましたが、3/4の歴史を辿って来た諸先輩方は、私以上に
努力・苦労をしてきたと思います。この60年の髙藤建設㈱があるのも先輩方のお陰だと私は思います。ありがとうございました。
この先、70年・80年と続く髙藤建設㈱を背負って行く私達(若者)が、全員一丸となってがんばって行く所存です。

(2005.11.27[Sun])

 

建設部主任 河崎竜市
私が入社したのが平成10年。今年8年目となります。母校からは毎年当社へ入社しており、先生のアドバイスから当社入社を決めさせて頂きました。卒業時には不景気で建築学科でも建設業の求人案内は半数をきっていました。その中で先生が髙藤建設は大丈夫と推してくれたのを憶えています。まだまだ未熟ですが少しでも80年・100年と続くよう貢献できたらと思います。

(2005.11.26[Sat])

 

管理部 大和朱実
 平成8年に入社して早いもので10年がたちました。
この10年間、たくさんの事を学びましたが、失敗も多く、社会人としてちゃんとやっているのか、自分の役割ははたせているのかと反省する毎日です。
創立60周年。長い歴史をもつ当社で働けることに感謝し、自分の出来ることは確実に。また社会人として恥じないように日々努力し続けたいと思います。

(2005.11.25[Fri])

 

福岡支店 利川陽子
就職活動時に高藤建設のホームページの工事実績を見てその工事数に驚いたことを今でも覚えています。諸先輩方の努力があってこその60周年。その長い歴史の中に、微力ながら私も高藤建設の一員として働かせて頂けることを嬉しく思います。社会人として貢献している、と自信をもって言い切れるような社会人でありたいと思います。

(2005.11.24[Thu])

 

徳山支店 田原麻耶
 私は髙藤建設に入社して、あと何ヶ月後に1年になります。まだ、髙藤建設の歴史について知らない事や、業務についても分からないが沢山あります。これから、少しずつ髙藤建設の歴史を知っていき、業務もなるべく早く覚えていこうと思います。
ところで、私は入社して建設業経理事務士というのがある事を知りました。日商簿記と少し勘定科目など違うから、戸惑うところが多々あります。戸惑ってばかりでは、仕事がはかどらないから、時間を有効に使い、建設業経理事務士を勉強していこうと思います。
まだ、社員としても社会人としても未熟者なので、上司や社員の方から、たくさん注意を受けると思います。それはその場で改善し、同じ間違いを繰り返さないようにして、誰からにも頼られる社員を目指したいと思います。

(2005.11.23[Wed])

 

事務センター 住野亜矢
私が、入社して、もうすぐで4年目が経とうとしています。この4年間でたくさんの事を学んできました。しかし、今でも、当たり前の事が出来なかったり、社会人としての自覚が足りなかったり多々反省する部分があります。自分に足りないものを常に把握し、何事もプラスとなるよう努力していきたいと思います。又、今まで諸先輩方が築きあげてこられたものに傷をつけることなく、精一杯頑張っていきたいと思います。

(2005.11.22[Tue])

 

社長室秘書 岡野左司馬
昭和41年入社の時に、聞かされた話があります。
「人間、生きていくには”衣・食・住”がそろってなければ生きていけない」
という話です。
我が社の仕事はそのうちの”住”(建設)です。
誠心・誠意・真心をこめて仕事をしていけば、会社は存続でき、それに伴ない信頼・信用が生まれてきます。
この60年間、築き上げてきたものを維持していくことは大変難しいこと
ですが、残り少ない日々を存在価値ある我が社の発展に向かってがん
ばっていきたいと思っています。

(2005.11.21[Mon])

 

CS事業部 前田克己
”企業に定年なし”
敗戦後の動乱期、数名の仲間と共に、ここ門司に引き揚げてきた先人達。 縁もゆかりも無い土地で、大変な苦労をした事であろうと思う
が、朝鮮動乱、28年の大水害など、苦難を乗越え現在の礎を築いた由。あれから60年、多くの先人達も逝き、入社社員も延べ398名
にもおよび、現在98名。
私も、40年余り勤めさせて頂いたが、老兵は去るのみ。
だが、社員に定年は有っても”企業に定年なし”
休むことなく歩み続けなければいけない、何故ならば、家族の為、
社会の為に。
100年の大計になぞらえるならば、まだ60歳、
「再建の真っ只中に今はいる、企業と言う草育てるために」

(2005.11.20[Sun])

 

大阪支店 後藤辰巳
奈良に行った。春日大社にお参りし、二月堂、三月堂を通り抜け大仏殿の前に立つと、プーンと線香の匂いがして数百年の歴史の中にいるのを感じた。
我が社は創立60年。この還暦を節目とし、古都京都、奈良と比較は出来ないが、高藤建設の歴史を100年、200年と刻んでいってほしい。私も微力ながら力になりたいと思う。

(2005.11.19[Sat])

 

富士不動産部長 宮城尚寛
高2の頃、現本社門司駅側の道が通学路でした。電車通りの角地に3階建ての無人の建物が有り窓ガラスは90パーセント割られていました。
将来、その建物に自分がお世話になるとは想定外でした。
当時の門司は人口も15万人を超えて活気に溢れていた様に思います。
通学の電車はいつも満員で席に座った記憶はありません。
その後、髙藤建設に入社が許可され社会生活を一から勉強させて頂きました。大阪・徳山の各支店勤務も経験しましたが社員の気質はどこも
同じで勤勉・誠実な社風は見事に統一されていたことに感服しました。
当時は右肩上がりの経済成長期で、現場も広範囲をカバーし、繁忙を
極めていました。
時代は変わり、現在は富士不動産㈱勤務になりましたが建設業と
不動産業は周知の如く、密接な関係に有ります。
土地が動けば建築計画がついてくると言っても良いし、逆も又、真成り
だからです。富士不動産㈱も49期を迎えています。諸先輩方の貢献は
計り知れませんが少しでも追いつける様にと思っています。